今回は
SUZUKI RGV-γ(ガンマ)
色もこれと全く同じもので、前オーナーが言うには
限定カラーだったとか。
前オーナーは幼稚園の頃から付き合いのある友人で、ムチャ乗りしまくるため、限定カラー(ホンマかどうか知らんけど.....)が
キレイだったのは納車後数日間だけ。
前回の
Dio-ZXの話の中に出た
「緑地公園ヘビ道」が、このクラスの各有名峠デビューまでの練習場のような場所で
(このヘビ道というのは全長にすると1kmぐらいの狭いワインディングで、住宅街のど真ん中にある巨大な公園と墓地に挟まれていて、一般車の交通量も多い、今考えるとムチャな場所)そこでよく練習してはった。
私はその頃は中型免許持っておらず、周りが乗っていた
90年式前後のNSR-SE、88NSR、TZR、CBR-RR、GSX-R、FZR、R1-Z等に、よく
跨らせてもらっていた。
免許自体も、今のように普通二輪、大型二輪と分かれていたわけでもなく、大型は限定解除という呼び方。
当時でいう中型免許で大型乗って捕まったとしても、無免許運転になるわけではなく
条件違反を取られるだけだった(眼鏡等使用と裏書きされているのに眼鏡忘れたみたいな)。
知らないうちに仲良くなったオッサンに
CBR900RRや
GSX1100Rにも
跨らせてもらったり。
その頃は
2スト250ccのレーサーレプリカが大流行。
HONDA NSR...王道、扱いやすく速い(規制前の88は別格で速かった)、乾式クラッチかっこいいYAMAHA TZR...オシャレ、ナンパ、NSRがライバル、乾式クラッチかっこいいSUZUKI RGV-γ...ガンマというギリシャ文字が初見で読めません、ピーキーなエンジン特性、なぜ湿式クラッチ...といった印象
(あくまでも個人的見解です)そして前オーナー。
NSRが
Jha、
TZRは
ドッグファイトか
ジャッカルが定番チャンバーというように、
ガンマは
スガヤチャンバーという事で装着していたものの....
ヘビ道のギャラリーコーナーの私ら友人連中が見てる前で、立ち上がりでアクセル開けすぎたのか大転倒。7、8人で見ていたが、目の前で火花上げて滑っていく車体と、放り投げた人形のように転がっている前オーナーを
皆、現実感がないように呆然と見ていた。
車体とオーナーが止まって初めて駆け寄ったような状態。
当時は携帯など一般人が持っているはずもなく、友人と2ケツで公衆電話を探しに行き見つけたものの
どちらも10円玉を持っていない.....
また事故現場に戻り
「誰か10円持ってへん?」と訊くと
「アホか (`Д´) 救急のボタン押せ!」と友人らに言われる........
何事も初めての出来事にはテンパるものです。オーナーは数箇所の骨折の数日入院した程度で済み、ガンマはチャンバーが折れ、サイドカウルにアンダーカウルもバキバキに。
以降、アッパーカウルのみ仕様となる。
そして春。
友人らと琵琶湖にキャンプしに行こうという事に。
台数的には10人で6台。
私は
オーナーの強い勧めでこのガンマのケツに乗る事に。
これが後の悲劇へ......このオーナー、とにかく飛ばす。
ガンマはタンデムステップが何故かすぐに引っ込み、片足ブラリの状態になること多々.......それでも順調に辿り着き、左側に琵琶湖を眺めながら片側1車線の対面通行の道を先頭で飛ばしまくるガンマ。
見通しの良い直線......
速度にして80km/hぐらい.....
左側の琵琶湖を眺めたままのオーナー.........前方で軽の1BOXが停車.........
距離にして100m無いぐらい........
全く気づいていないオーナー........もう突っ込むのが理解でき、タンデムのケツというなすがまま状態で「死」を感じる。
恐らく、墜落する飛行機に乗っていた人はこういう心境なのかというのがわかる。
「前!前!」とだけ叫んだ覚えはある。
追突寸前でオーナー気付く......何とか避けようとしたものの、アッパーカウル左側からハンドル部分が1BOXの右後部に激突し、ガンマはテールを右に振り出す形に。
と、ここでこの手のレーサーレプリカ独特の1段せり上がった発射台のような形状のリアシート。
激突の衝撃で私は右前方へ
「エヴァンゲリオン!発進!」状態で射出される。
空中で記憶が途切れる最後の景色は、ガンマはバウンドしながらオーナーを轢いていた.........
(直後を走っていた友人によると、私は「もし歩道橋があったら当たってたで」という高さまで飛ばされ
対向車線を越え、歩道と車道を分けている食パンみたいなブロックの角に頭から落ちてバウンドし
田んぼの用水路にホールインワンしたと...........)ここで友人絡みの事故の面倒くささというか....オーナーは親バレがマズかったらしく1BOXの持ち主と示談。
当然、事故証明もないため保険効かないどころか病院にも行けず........
右半身の痛みで私は動けず、琵琶湖のほとりの松林で横たわり、他の友人が買ってきたシップ等で過ごす。
交通量の少ない夜中まで待ち大阪へ帰る事に。
ガンマはあちこち折れて割れて曲がっていたものの無理矢理自走し、足を曲げる事も困難だった私は、ポジションが一番楽だった
バリオスのケツに。
何とか帰宅はしたものの、明け方、
痛みが尋常ではなくなり救急病院へ。
診察の結果、首と背骨が折れてもおかしくない程のムチウチ、右鎖骨骨折、右腕脱臼、右ヒザ靭帯損傷、左ヒザの皿のズレ........「キミ、ホントにこの怪我で二人乗りして琵琶湖から豊中まで帰ってきたの?」と医者に言われる.......
(その後半年ほど、右半身の感覚が極端に薄れ、手の平を針で刺したぐらいでは何の痛みも無し。
痛みも熱さ冷たさも感じない無敵の肉体を手に入れたと思ったものの、その後回復....)オーナーは申し訳なさそうな接し方だったが、こういうのは仕方ないし、まぁ治ったなら結果オーライで。
そして私が中型免許を取って、
オメガの耐久アッパーカウル仕様となって綺麗に復活したこのガンマを譲ってもらう事に。
楽しかった。
パワーバンドに入った途端、ピーキーに吹け上がるエンジン。
幼児が泣き喚いているかのようなチャンバーサウンド。
街乗りから峠、高速道路、どこを走っても脳内麻薬が分泌されるかのようなハイテンション。
そしてある夜。
自宅マンションを出て全開加速中、交差点で対向車が右折。
「こら、あかん...」と思ったところから記憶が途切れ、意識が戻った時はヤジ馬に囲まれ救急隊員が何か叫んでいる景色。
起き上がろうとするも、体の左側に力が入らず起き上がれない。
「バイクどこ?」と訊くと、指差された方向100mぐらいのところに転がっていて、そこにも人だかり。
担架に乗せられ救急車に運ばれる最中
「体のパーツは揃ってるけど手が痛いなぁ」と思ってよく見てみると
両手とも指の甲側の皮膚が無くなり、剥き出しの骨まで削げている有り様........この時、普段していたグローブをせず、
素手で乗っていた........
とにかく吐き気が酷く、頭が痛いのを訴えると、私の被っていたフルフェースを隊員が見せてくれた。
その時は当時
SHOEIのハイスペックモデル X-8 FLAMEというのを被っていた。
が....
アゴの部分は裂け、後頭部部分の丸みが垂直に。
病院に着きCTを撮り、医者はヘルメットの損傷具合とレントゲン写真を見比べながら
「とりあえず今のところ脳に損傷はありません」と。
左鎖骨骨折、左足首骨折、左ヒザ靭帯損傷、両手親指以外の8本骨折、普段着だったため全身擦過傷。途中で記憶が飛んでるためわからないが、コケ方は多分、対向車と当たると思ってフルブレーキ→フロントスリップダウンみたいな感じで、接触しなかった対向車はそのまま逃亡。
(翌日、消毒のために指のガーゼ剥がす時、あまりの痛みに嘔吐し、それからは火傷の時に使う溶けて皮膚の栄養になるらしいゼリーみたいなのを貼られる)ガンマはオヤジとオカンが家まで押して帰ったらしいが、ギアの事など全く知らない二人なため
3速に入ったまま押して帰ったようで
「バイクって、こんなに重いんか....」と........
車体は激突することなく滑走したようで、ハンドルが曲がりアッパーカウルがどっか飛んでいった程度の損傷。
この時、
耐久カウルというのは、衝撃に耐久性があるからそういうネーミングというわけではないという事を知る。
その後、オメガの耐久は塗装しないといけないのが面倒で、バイク雑誌に載っていたよくわからないメーカーの
「純正塗装済み・片目耐久・イエローレンズカバー付き」というのを買う事に。
(ただでさえ片目の耐久で、HIDなど存在していない当時、イエローレンズカバーなんかあるとライト暗すぎ...)暫く乗っていたが、エンジンが5000回転ほどしか吹けなくなり、そのままオブジェに。
同型のガンマでレースしていた知り合いに、部品取りとして売ってほしいと言われ売却。
「持ち主をあの世にいざなう呪いのガンマ」「事故っても事故っても復活する不死鳥ガンマ」等と揶揄されたりもしたが、2ストが無くなってしまった現在、お金に余裕があればもう一度乗りたいと思えるほど魅力的なバイクだった。
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