70系TOYOTA SUPRA

平成元年式のGA70型スープラ・ワイドボディ

shot57-8.jpg


(注:当時の写真が無いため、カタログ参照です)

免許取って初めて買った車。

何の知識もなく、ただリトラクタブルライトのMT車に乗りたくて
「見た目カッコよくて安い」という理由だけで選択したのが運の尽き...........

まず街乗りでは、タイヤの舵角が浅いのか、小回りが利かず難儀する.......
2000ccワイドボディ..........
パワー無いのに重く「走らない・曲がらない・止まらない」の三拍子が揃い、もう少しお金出してJZAエンジンの2.5ツインターボRにすればよかったと、後悔ダラダラな車だった。

この頃はまだ、ようやく通話のみできる携帯が学生でも無理すりゃ持てるような値段になった頃で、メール機能など無し。
当然、ネットも普及してるレベルではなく、常時下半身ギンギンな若者が出会いを求める場合
ナンパかテレクラ系しか手段がなかった。

そんな中、ウブな私が初めて買ったツーショットカード。
あやしげな自販機でカードを買い、公衆電話に入れると女の子のとこに繋がるテレホンカードみたいなもの。
「#」だったか「*」だったかで、繋ぎ先をどんどん変えていき、お目当てを見つけるような仕組み。
友人らと公衆電話に群がり、カウパり状態で電話していた。

何度か繋ぎ変えながら
「森高●里に似てるってよく言われる。三宮にいるよ」
大体の住所と携帯の番号を控え(こういう事をする時のため、紙とペンはグローブボックスに搭載済み)70スープラ発進!

三宮はわかるものの、細かい指定場所まではわからない。
ナビ等というものは存在しておらず、マップルみたいな地図をパラパラめくり探す。
待ち合わせ場所はクソ狭い路地だったものの、「森高」という響きだけで、先走り汁と共に頑張って辿り着いた。

「お待たせ~」とか言いながらこちらへやってきたのは、性別だけは森高に似てるとしか思えないような
旧ドラえもんの声の人ソックリな女が。

目の前の悪夢に、思わず素になってしまう.........
他人のネタとしては笑えても、自分が当事者になると笑えるはずもない.........


ウ●コしても拭いてなさげなそのケツを乗せるんじゃあない

「ちょっと車、向き変えるわ」と、クソ狭い路地で鬼のような切り返しをし
「どこが森高やボケッ!ナメんなゴラァッ!」と捨て台詞吐いて逃亡してきたのは、出会い系のコワさを体感した淡い思い出。


この頃は二十歳ぐらいの時で、スポーツ系の車乗ったヒマな若者なら大体やるであろう
「夜な夜な峠で徘徊」に傾いていく。

改造点としては..........
・チャージスピードのエアロ
・モデナ17インチ
・RS/Rの検対マフラー
・ケージーエムの足回り
といったところながら、マフラーの音が静かすぎて気に入らず、当時流行りの砲弾型サイレンサーだったアペックスのN1マフラーに交換。

N1マフラーは、直6エンジンに装着すると「ボォォォォー」という低音ではなく
「コワァァァァン」みたいな独特の排気音だった。

個人的に、車高はベタベタ、ツライチではなく被ってる方が好きで
オフセットそのままにフロント235、リア255というタイヤサイズだったため、ハンドル切るとタイヤハウスやスタビにタイヤ擦る状態に......
何の補強もしなかった無理も祟り、ドリフト最中に後輪のハブボルト折れてタイヤ取れたり
ハッチバックやドアが歪んだのか、常時半ドア警告灯が点いて雨漏りしたり........


高速道路をカッ飛ばしている時に、道のど真ん中にコンクリートブロックのようなものが落ちていて
気付いた時にはちょうど横を走る車を抜いた直後で、ブロックを回避する事ができず。
跨ぐしかなかったが「バキッ!バリッ!」の破滅音と衝撃。
高速降りてから確認すると、サメにで噛まれたかのようにバンパーがもげていた........

エアロを買い直して半月。
まったく同じ状況でまたバンパーもげるというミラクルを起こしてくれた車


元々は、バブル真っ只中の上位車種として作られただけあって、質感自体はよかったと思うけど
ズッシリマッタリといった感じで、峠を軽快にというのには向いてなかったように思う。

1年ほど乗ってNISSAN車に乗りたくなり、友人に売却。
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