21日に事故ってから、ようやく左ヒジと左ヒザの挫滅傷も癒え
骨折の痛みも悶絶する山は越え、再度レントゲン撮った結果ズレもなく手術の必要もないだろうとの事。
バイクに乗り始めて20年。
途中、車にハマッた時期はあったものの、覚えてる限り
「何で生きてんだ?」が2回。
「運が悪けりゃ死んでたな」が今回入れて4回。
「当たりどころ悪けりゃ体のパーツ飛んでたな」は数えていないほど.......
怪我自慢ではないが、よく怪我してきたもんだわと。
人間、生まれながらに平等に与えられた
「運」のパラメーターを消費しながら生きていくのだとしたら、もし私がバイクに乗らずに生きてきたと考えると、
宮崎あおいと結婚ぐらいしてたかも。
そう思うと涙で枕を濡らす気分........娘はというと、退院してから順調に回復してる様子ながら
まだ体力が戻っていないことから
「しんどくなったら帰ります」と、午前中だけ学校へ行っている。
しかも、
車で送迎・校内のエレベーター使用・クラスのコらが「お手伝い係」で数人付きっきりというVIPぶり。
家では、骨折込みで体ガタガタな私に対して、あれしてこれして.........
一時は「後少し遅かったら、かなり危なかったかも」というところまでいき
酸素吸入されなから「パパ、ごめんね」と言ってた時から比べると、憎まれ口叩けるようになってくれたのが何より。
「いつか、取った卵巣の代わりに、パパのタマあげるわな」「そんな汚いもんいるかボケッ!」............冷たい返事である。
そして先日の北海道での娘を庇って凍死した父親の話。
これは娘を思う父親の当然の行動みたいな美談として語られているが
自分が同じ状況に置かれたとして、極限の中、果たして正常な精神状態で娘を守れるのか?と考えると.....
錯乱してしまわないかと思いつつ、シーザー・ツェッペリンの
「カッコ悪くてあの世に行けねぇぜ」という気持ちはあるしで、何かと考えさせられる報道である。
そのニュースを観てる私に対して
「パパは、うちの服剥ぎ取って自分が被って助かろうとしそうやな」と、ほくそ笑む。
まぁ、何かあった後、この何てことない日常というのが、とてもありがたく思うとしておこう......
- 関連記事
-