娘の入学式に行ってきました。

中学校は私も通った学校で、娘は25年後輩となる形。
私としても23年ぶり。
正門前に14Rを停め
「帰ってきたぜぇ、我が母校によぉ」と、魍魎の武丸さんのように登場したいところだが、私など所詮、
鬼雷党のケージな私は、コソコソ徒歩で向かう.........
ブログで書いたか忘れたけど、私が3年の時に、校内で男女4人が1人の女の子を撲殺という殺人事件が起き、犯人らは仲良いツレ。
亡くなったコは同じクラスという事もあって、結構な騒ぎになった。
以来、大々的な同窓会というものはなく、数年前にやった小学校の同窓会の時、小中と同じクラスだった女に
「中学校の同窓会ってやってんの?俺ハミッてる?」と訊いたら
「あんな事があったから、そんな気分になられへんやん」と.............
お ま え が 言 う な !実はコイツ、昔から大嫌い..........
事件があった直後、あちこちにマスコミ関係者がウロウロしていてインタビューをしていた。
「〇〇ちゃんが可哀想...私が見てたら助けてたのに」みたいな発言してるのをテレビで観て
(音声変えてモザイク入れても、本人知ってたらすぐわかる)「おまえ、モップで袋叩きにしてたのに、ようそんな事言えたもんやわ」と.........
私は「我、関せず」な立ち位置というのか、火の粉さえ飛ばしてこなければどうとも思う事なく、イジメはされた事もする事もないといった感じ。
葬式会場で焼香の順番待ちが退屈すぎて、前の奴に
「ヒザかっくん」して、アワワとなったのを見た奴が、堪えきれずに吹き出した場面がテレビカメラに撮られ、吹き出したとこが放映されたため顰蹙を買ったぐらい。
学校に着くと、色んな事が思い出される...........

武勇伝や悪さ自慢を語るほど何かしたわけではないが
「ここでたばこ吸ってたよなぁ」
「あの壁に〇〇が落書きしてたよなぁ」といった感じに、当時の事が鮮明に浮かび上がり、こういった感覚が追憶というのだろうか。
と同時に、スゴく寂しい気分に.........
同級生や先輩後輩、殆んどが地元を離れて新しい土地で生活を送る中、何の縁かはわからないが、8回も引っ越しながら、結局、地元で家建てたというのが、何だか自分だけ取り残されたような気分。
ここを出てから、まぁ、贅沢はできずとも明日食う物には困らない程度には生活できてるから良しとしておこう。
亡くなったコが最後に見つかった場所に行き、暫くしんみりしながら入学式会場の体育館へ。
校舎の造りも当時と殆んど変わっていない。
割れた窓やスプレーの落書きなんかが見当たらないだけ、穏やかになっていったんだなと。

アニメ北斗の拳の最終回のラスト、エンディング曲が流れる中、黒王号に乗ったケンシロウが強敵(とも)たちを回想しながら歩いていくシーンそのもの。
(実際は、回想するほど修羅の国な時間を過ごしたわけでもなく、ただ好きなようにダラダラしてただけで、5000%ぐらいは美化入ってます)体育館に入ってあれこれ式典が進行する中、1つ気付いた事が..........
娘の小学校卒業式もそうだったが、壇上に校旗と国旗が並んでいて、校長が国旗に一礼して話を始める。
そして国歌斉唱。
他府県がどうだったかはわからないが、多分、私と同年代で大阪出身の方は、小中高と公立学校に通いながら、国歌は一度も歌った事がないと思う。
音楽の教科書の最後のページに載ってた歌詞を見た事しかなく、メロディはオリンピックで知ったという状態。
今思うと、日本人に対して公立学校が国歌を教えないというのは、おかしい時代だったのがわかる。
ちょっとアーミーっぽい帽子被ってただけで
「お前は戦争がしたいのか!」と木刀で殴る教師や、戦争物のゲーム
(ファミコンの「戦場の狼」だったと思うけど)の話をしてるだけで、ヒステリックに喚く教師がいたり、随分と左寄りな時代だったんだなと。
校歌は23年経っても当然といえば当然ながら同じ。
もう少しロックなアレンジにされてるかと期待したが。
とりあえず娘には、健康で楽しく学校に通ってくれればそれでじゅうぶん。
欲を言えば、可愛い友達をたくさん作ってほしいものである。
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