先日、亡くなったバイク友達のお参りに行ってから、一つ胸に引っ掛かっている事が。
それはバイク本体。
故人の私的な事柄になるので詳細は省くとして、端的に言うと「離婚後、親権は元奥さんにあるものの未成年の子供がいるため、名義のついている所有物は全て子供が相続する」という事。
つまりは、車やバイクは無くなってしまうという事。
生前、お金の面で相手とその親族に辟易して長い期間裁判し、ようやく離婚できたと話していた。
当然、相手側は面白くなく、妹さんやその旦那さん、弟さんが、せめてバイクだけでも残してほしいと言っても、全て養育費にするとの返答。
買い取ると言っても、そこから音信不通。
遺族間の事に立ち入れるわけでもないけど、こういうのは悲しい。
そして、当日、もうバッテリーも上がっていると言っていたバイクのカバーを取り、セルを回したらエンジンが掛かった。
「お久しぶり」みたいに、まるでそこにいるかのように感じて涙が出た。
何にも無くなったら、向こうで退屈だろうなと思った。
好き嫌いが極端な私自身、故人の人柄に惚れ込んで仲良くしてもらい、私が隼廃車の事故の際、バイク乗れない体になると思っても、これから先も何かしら付き合い続けていくんだろうなと感じていた。
正直、経済的に余裕もあるように思っている妹さん達に対して、失礼は承知で
「バイクを買い取る費用ですが、僅かですが僕もカンパしたい。
カンパは失礼にあたるかもしれないので、生前、使っていた何かのネジ1本でも譲って頂けたら、これからもそれ持って一緒にどっか行ってるように思えるんで」
そう伝えた。
いつも何処へ行くにも、誘うと「ハイハーイ、行く行く」の二つ返事。
出掛けるというのが本当に好きだった様子。
妹さんは快く承諾して下さり
「バイク残せるように頑張ります!」と。
恐らく、自分の事で周りの人間が疲れるのは嫌であろうし、向こうでマッタリ過ごせないであろう。
後は遺族間、良い形で話が進むのを祈るばかり。
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