甲子園を最後まで

この夏、暫しのプータロー特権により甲子園へ6回行ってきました。
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というのも、これまでの内容から、もう隠したところでバレバレなので.............娘が通う履正社高校が決勝へ。

スポーツと進学でクラス編成が分かれるシステムな為、進学クラス3年生の娘の夏休みは盆の辺りに1週間ほど。
スポーツクラスではない3年生はフツーに授業。
1回戦、2回戦の応援は1、2年生と中等部が参加。

さてこの履正社高校。
私自身は豊中市の隣の箕面市で生まれ、豊中市に引っ越して40年ちょい。
学生時代に住んでいた町が履正社のある長興寺南のすぐ近く。

中学の頃の五木の模試の会場が履正社で
「なんか会社みたいな学校で試験あるみたい」
箕面市生まれで、私が生まれて豊中市に引っ越した、うちのオカンに言うと

「そこって福島商業でしょ?」と、眉をひそめるような表情に。
悪者が集う高校というのがその世代の印象ながら、オカン兄の奥さんの祖父、父が福島商業の教員だった事もあってか
それ以上は何も言わず。

模試を受けにいくと、門を入ってすぐ、謎のブルートレインの寝台車が1両置かれていて
(特進コースの生徒がそこで寝泊まりして勉強すると聞いたものの、真偽の程はわかりません)
0時間目から7時間目ぐらいまでの時間割が教室に貼ってあり、何か異様な雰囲気。

当時から派手な生徒もおらず、多分「厳しい学校」という噂だったのと、男子校だった事もあってか
学校はすぐ近くなのに同じ中学から受験した同級生もおらず、近所にあるのに実情はよくわからない印象でした。

特に意識する事もなく年月が経つにつれ、最寄り駅等に「〇〇部インターハイ出場」みたいな横断幕を目にする事が多くなり
いつの間にか共学にもなってスポーツ強いんやぐらいの認識。

そして娘。
以前書いた経緯から受験の意志が固く........................
調べてみると「監獄の履正社」というのをチラホラ目にする。
とにかく校則が厳しく、勉強漬けの学校生活といったところ。

嫁と話をすると「順応性だけは高いから、そういうところで揉まれるのがいいかもね」と。
聞いた話だけで、自分なら3日もたずに辞めるだろうと感じる内容だっただけに
娘には「ホンマに大丈夫?キツいみたいやで?他にも学校はあるで?」と言ってみたものの
何を覚醒モードに突入したのか「頑張る」と譲らない。

そして入学。

入学式での理事長の挨拶で
「教職員や学校そのものに、何かおかしいと思ったら、担任等を通さず、直接私に電話を下さい」
と、親全員に携帯の番号を発表して、続く保護者会の会長も携帯の番号を発表。
イジメ等の問題も揉み消しませんの強い意思表示が。

その後、校則や時間割のプリントが配られたりしたけど、ざっと目を通すとまず男の子。
「髪型は襟足は襟に掛からず、前髪は眉毛に掛からず、横は耳に掛からず、もみ上げは耳の中心より短く」
..................!モヒカンでギンギンに立てとけばOKやん!
と思ったら、最後に「奇抜と思わせるようなものは全て認めません」の文言が。

恐らく、私のような屁理屈こねる人間を見越しての事であろう..................

爪の先の白い部分は何mmまでとか、男も女もこれどんな髪型ならいいねんみたいな。
入学当初、娘は私も行ってる散髪屋で、条件クリアできるようスタッフに説明した結果
ウォーズマンというのか、眉上で前髪横一文字のおかっぱ。
「家ではヘルメットを脱ぎなさい」と言うと、ぶちギレてはった。

そして勉強の方は..................
月曜日から土曜日まで、毎朝8時過ぎからテスト。
7時間授業を終えてから100分の受験講座が2コマ。
チャリで10分ほどの距離の娘でも、日によって帰宅は20時前。
そこから翌朝のテスト勉強して予習して寝るといった繰り返し。
成績は全てのテストで下位10番以下だけ名前は伏せられた状態で親元にお知らせ。

スポーツクラスも進学コースほどではないにせよ、ある程度の学力的な成績も必要だとか。

野球部の「練習時間は3時間」というのは嘘ではないと思います。
履正社は学校敷地内のグラウンドが狭く、中等部の部活で使う為
高等部は茨木市の山手に野球場、サッカー場、テニスコート、その他のグランドが。
(女子硬式野球部は箕面市にある履正社の専門学校の敷地を使ってるとか)
授業が終わり、そこに行くまでにスクールバスで30分以上は掛かるかと。
かなり交通の便が悪い場所にあるので、自主練も恐らく帰宅後。
帰りのバスと学校の閉門時間考えると、全体で取れる時間なんてそんなもんかと。

それと「どうせ外人部隊でしょ」というのは、厳密に線引きすると「そうです」となりますが
感覚的には地元民。

履正社の場合、学校のある豊中市は兵庫県の伊丹市や尼崎市と隣接しているのと
阪急宝塚線と、地下鉄御堂筋線から乗り換え無しで連結する北大阪急行線の2路線の駅が最寄り駅となる為
大阪南部から通学するより、兵庫西部や京都から通学する方が短時間という面があります。
南北に長い豊中市なので、同じ豊中市でも北部や南部より兵庫県の方が近いです。
元々、関空ができたから、香川県を抜いて都道府県面積で最下位からブービーに繰り上がった狭い大阪なので
私学は、一般生徒でも他府県から通うのが珍しくありません。

岡田監督が学校側から寮を作ろうと打診されたのを断ったという経緯があって寮は無し。
兵庫県は広い為、丹波市や姫路ぐらいになると、家族ごと引っ越してきたり、下宿という形がとられるようです。
なので、大阪の地区予選などでも、それぞれの選手がいたボーイズリーグの子供らがたくさん観に来てる感じです。

さてここからは極めて個人的な内容。

私も小中と野球をやってきた中で、ヒーローといえばPL学園

甲子園のすぐ近くに親戚が薬屋をやっていたのと、オカンの兄と弟は野球で大学まで進んだ野球好きという事もあって
プロ野球、高校野球問わず、小さい頃からよく車で連れてってもらいました。
ただ、幼すぎて野球観戦よりもスタンドを走り回ってばかりでしたが.................

自分が野球を始めたぐらいに、ちゃんと観たのが桑田・清原
小学校5年生ぐらいにもなれば、少年野球の合間にツレらと電車に乗って。
そこで観たのが立浪・片岡・野村・橋本等のPL学園。
87年だったと思いますが、この大会ほどあちこちのチームにスゴい選手がいた大会はないと思えるほど。

この時に準優勝した常総学院の島田投手がカッコよすぎて
それまで池田高校の水野に投げ方が似てると言われてたのを
島田投手のように、足上げた時には手も拡げてるようなフォームに変えた思い出が。

その常総学院を破って優勝したPL学園に感動。
今だに母校の校歌は覚えてなくてもPL学園校歌は歌えます

そのPL学園が..................
今となっては廃部どころか学校の存続すら危ういとか..................

そしてPL学園に代わって台頭してきたのが大阪桐蔭
大阪産業大学の系列やったかな?程度の認識だったのが、あれよあれよと超強豪校に。
履正社もポツポツと甲子園に出るようになっていったものの、大阪といえば圧倒的に大阪桐蔭。
甲子園になれば大阪代表を応援しますが、府内であれば豊中市民的に履正社贔屓なところに娘の入学。

入学直前の春の選抜に出場するとの事で、同じ学校の生徒が大舞台でプレーするのを観るのもいいだろうと
娘も連れて甲子園へ。
(この辺りは完全に私の思い出補正による偏見なのか、海外育ちの嫁などこの時は「ふーん、それってスゴいの?」ぐらいのものでした)
その時初めて安田選手(現千葉ロッテ)を見て、雰囲気というかオーラというか、スゴい選手いてるやんと。
朝露だったか夜中に雨降ったかで、アルプススタンドのベンチが濡れていたのを履正社の一般生徒が皆で拭いてるのを見て
「ありがとう、先生に言われたん?」と訊くと
「いえ、自分たちでやろうと話して」

良い生徒だなと。

が、結局その大会は、大阪同士の決勝戦で大阪桐蔭に破れ準優勝。

その夏の地区予選、またもや大阪桐蔭に敗北。
翌年の夏、9回2アウト2ストライクまで4-3でリードして「今度こそは!」と思っていたところ
4連続四球で同点になり逆転負け。

そしてこの試合、捉えられてきた濱内主将をライトに回し、中継ぎとして出たのが2年生だった清水投手。
1アウトも取れずまた濱内主将に交代。
2年生でレギュラーメンバーに入っていた選手も多く、観てる方ですら悔しかったのに、当事者の心情を考えると..................

夏が終わるとすぐに秋季大会。
大阪予選でようやく大阪桐蔭を破り優勝、2位の大阪桐蔭とともに春の選抜の選考となる近畿大会へ。
この頃になると、野球無知だった嫁も高校野球大好きになり、神戸のほっともっとスタジアムに結構な頻度で観戦に。

ベスト4に入って春の選抜出場が確定したところでコールド負け..................

そして春の選抜。
大会初日の最後の試合にも関わらず、義母が「開会式観たい」で、クソ寒い朝4時頃から並ぶハメに..................

試合開始。
相手は星稜高校。
ピッチャーが良いとは聞いてたけど..................

ナ ニ コ レ?

アルプススタンドで観てても、ストレートの速さと変化球の鋭さがエグすぎなのがわかる..................
プロ野球選手が投げてんのか?と思うほど。
喫煙室に入ると、選手の父兄なのか
「とりあえずノーヒットノーランにならんくてよかった」
と言うほど、勝敗云々のレベルではないワンサイドゲーム。
結果、3安打17奪三振の完封負け。

この春の選抜、大阪桐蔭も大阪2位で近畿大会へ進出していたものの
ベスト4で履正社と智弁和歌山が大敗したことから、得失点差等の選考で甲子園に出る事ができませんでした。
「大阪桐蔭出さないように、ワザと負けたんちゃうの?」と言われるほど、ネットではザワついていた経緯が。

それでこの惨敗。
「だから大阪は大阪桐蔭が出ないとダメ」
「万年シルバーコレクター」
「大阪の恥」

等々、大阪は昔から強くて当たり前みたいな歴史からか、その叩かれようはかなりのもの。

去年の夏からの流れを見ていただけに、正直、立ち直れるんかな?と。
自分なら心をへし折られてると。

~2に続きます~
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