ここ最近、娘が肝炎から回復したと思ったら今度はうちの親父。
3月末、5年ぶりぐらいでゴルフに行ったら、その翌日から腰痛が。
このブログでも書いてきたのでご存知の方もいらっしゃるかとは思いますが、江戸や明治時代的な旧い田舎者な考えというのか
「男が台所に立つな!」みたいな人間なので、当然
「病院行くほどの事じゃない!」と。
けど湿布を貼っても痛みは酷くなるばかりで近所の整形外科へ。
処方された痛み止めを飲んで治ったつもりでいたものの、ある日立ち上がれないほどの痛みに。
ここでオカンから電話。
状態を言われ
「ちょっと見に来てほしい」と。
仕事の予定もあるし、行ったところで実家マンションは丘の上から下に広がるように建っていて、部屋から正面玄関に行くまでエレベーター2回乗り換え、廊下歩く距離も100mぐらいありそうな。
それは担いで歩かれへんぞと。
まして腰痛めてる人間を素人が力任せに担ぐとか悪化な未来しか見えません。
「そこまで酷いなら救急車呼び」と言いましたが、これまた
「救急車呼ぶなんか恥ずかしい」と。
その翌日、ベッドから起き上がるどころか寝返りをうつ事もできないほどの激痛でトイレが間に合わず、さすがにフツーの腰痛ではないと思ったようで救急搬送。
その日は土曜日で救急隊員も整形外科の医者のいる受け入れ可能な総合病院を探して搬送。
オカンから電話。
レントゲンやMRIを撮った結果、ケースワーカーが探してくれてもっと大きな病院に転院になる。
転院した後、医者から説明があると思うけど、その日はまだハッキリわからない。
でも、仕事キャンセルしてでも一緒に説明を聞いてと。
.........?
ヘルニアの手術やろ?
こっちは代わりのいる会社員ちゃうねん。
一人親方の自営業で、1度受けた依頼をこっちの都合でキャンセルできるわけないやろ。
で、電話切って終了。
オカン姉に電話。
オカンにはああ言ったものの、その日その時間に俺が仕事入ってたら、親父の手術の説明を聞きに行ったってくれへん?とお願いすると..................
私も(オカンから)ハッキリ聞いた訳じゃないけど、あの様子見る限り簡単な話じゃなさそうよと。
翌朝、義妹から電話が。
義妹は自分より17歳下で、今は2人目の子供の育休中ながら東京で救急の看護師。
オカンと電話で話したものの、痛み止めも効かない等、内容的にちょっとおかしい。
けど、義妹が感じた推測をオカンに言うべきではないと思ったから聞くだけやったけど、多分、整形外科的なもんより別の病気やと思うと。
暫くしてオカンから電話が。
最初にアンタに伝えとこうと思うから、時間空いたら家に寄ってと。
実家に着いてオカンに出されたのは「入院診療計画書」
そこに書かれていた病名は
「肺癌の疑い、肺癌骨転移の疑い」え?..................
ちょっと言葉が出てきませんでした。
オカンが医者から聞いた話は..................
腰というか背骨の状態が建物の3階ぐらいから転落して強打したかのように潰れてる。
けど、転落してなくてここまで潰れるとなると骨の癌。
説明してくれた医者は整形外科の医者ながら、胸のレントゲン写真見て、専門ではないけど明らかに肺の曇り方が異常、恐らく肺癌、それもかなり進行してる。
他にも転移してる可能性があるから専門の医者がいる病院に転院の手続きをとると言われたと。
オカンは親父には伝えないよう医者に言い、自分や弟に今言うべきかどうか考えてた結果、変な伝え方をしてしまったと。
最初からちゃんと話せよと..................
ヘルニアの手術の説明聞くのと、癌のそれも恐らく進行してる状態の説明聞くのとは違うわと。
親父に対しては、正直、微妙な心境のところがあります。
一番古い記憶は3歳ぐらいの頃、キレた親父のちゃぶ台返しで味噌汁かかって火傷した記憶。
以降、高校生になって腕力で渡り合えるようになるまでは、それはそれは今の時代なら懲役食らうレベルで暴力は酷く、打撲は日常、覚えてる範囲で左耳2回、右耳1回は鼓膜が破れ、左腕骨折といったところ。
毎日毎日
「電車に轢かれて死なへんかな」と願うような幼少期を過ごし、腕力でやり合えるぐらいになると、特に何か思うほどの興味が無くなり、自分も結婚し娘が生まれ。
その頃にオカンが体を悪くしてしまい、嫁が
「一緒に住んだら手伝える事もあるから」と、嫁が個人的に持っていた貯金を頭金にして、今の実家のマンションを購入。
同居して1ヵ月、自分は喉の手術の前日から入院してる時に親父の酒乱発動。
当時1歳だったうちの娘に手を上げた事で、嫁ブチ切れて娘抱えて家を飛び出し、そこから12年の絶縁。
嫁の好意を無下にして、頭金に嫁の貯金は放り込んだし、家具や電化製品で自分の貯金も無し。
借家の敷金礼金、家具や電化製品は嫁のお母ちゃんが立て替えてくれて、もう何て言うのかメンツ丸潰れで親父に対しては怒りしかありませんでした。
そして月日は流れ、娘が中学生になった時、それまで
「じいちゃんはいない」で育っていましたが、ホントの事を話したところ
「いるなら会ってみたい」と。
そこから9年。
親父も歳取って少しは丸くなったのか、それまでの空白を埋めるかのように、フツーのじいちゃんと孫以上に溺愛してるように。
自分も嫁も思うところはあるものの、まぁ、孫を可愛がってくれてるならそれでええんやない?
弟も社長として会社を軌道に乗せた途端、団地育ちの抑圧を解放したかのような男の欲望全開で、高い車に乗って、高級ホテルの部屋取っては毎週末の乱交パーティー。
それを当時の嫁に見つかり離婚、慰謝料にマンション取られ、養育費は毎月40万ほど払わされる痛い目を見ながら、不整脈持ちで通院した病院で今の嫁と知り合い。
「社長って言ってもいつどうなるかわからんのに、贅沢ばっかりしたらダメ」と、14歳下に言われ、金目当てではなく接してくれたところにベタ惚れになり再婚。
今は娘が2人でき、良い家庭を築く中、弟家族が帰省した時に
「うちは親父嫌いやから、弟家族が実家に来てても顔出しません」では良くないわなと。
特にうちの嫁も義妹も
「アンタに何かあっても私がガッツリ働いて稼いできたる」みたいな面があり気が合うようで、うちの娘も年齢的に8歳しか変わらず、お姉ちゃんのように慕い、将来進みたい道を決めるキッカケにもなってくれて、こちらとしても感謝しかありません。
そんな形でいて数年.........で、今回の出来事。
転院当日は自分は仕事で行けなかった為、休みだった嫁に行ってもらいましたが、そこで呼吸器内科の医者から話しがあると言われたようで、内容は..................
検査結果が出ないと診断はできないけど、
肺癌ステージ4。
骨の状態もかなり深いところまで進行してるから、他の臓器にも転移してる可能性は高い。
検査結果が出るまで約1週間、それまでは診断ができないから治療はできない、痛みを和らげるだけの対処療法になる。
レントゲンを見る限り、容態が急変する可能性もある、その時に延命措置をするかしないかは家族で話し合って決めておいてほしい。
聞かされる側としてはほぼ死の宣告。
オカンはそこまで悪いとは思ってなかったようで呆然。
これは実家で一人にしておくのはマズいと思った嫁が、暫くうちに来てたらいいよと。
その翌日、主治医から自分の携帯に着信が。
オカンに掛けたけど繋がらなかったとか。
内容は、整形外科の医者と話した結果、背骨の手術はできそうだと。
ただ、手術するなら早い方がいいから明日行う。
その説明をするので家族の方は誰か来てほしいと。
.........意外でした。
かつて、絶縁した際に親父に最後に言ったのは
「もう死ねよ」転院した日に親父に電話すると自分の状態は理解していて、元のように治る事はないだろうとは言いながら、せめて車椅子に座れるぐらいにはなれば、皆の顔も見れるのにと。
(その病院では病室まで面会に行く事はできず、各フロアのオープンスペースにある談話場所みたいな所でのみ面会可能なので)
それを聞いていて医者からのこの内容。
少しホッとしました。
弟は費用度外視で
「アニキ、こんな薬もあるみたい、こんな施設もあるみたい」と、あれこれ調べてとにかく延命を望んでいますが、自分としてはステージ4は転移を伴う末期という認識。
プライドだけは高い親父の性格からして、誰とも会えないまま生き長らえるのを望むんかな?と思うところもありました。
それが、背骨の手術ができる=現状よりはマシになるという事なので、車椅子に座って皆の顔見るという望みは叶うのかなと。
うちの娘にもこんな状況やからと伝えると、暫くは家に帰るわと、普段好き勝手しながらも状況に応じてマトモな思考をしてくれてるのは驚きです。
今週、弟家族も実家に来て、今後どうするかの話を。
以降、義妹は時間に余裕がある時は大阪に来るようにして、弟も大阪での仕事のウエイトを増やすようにすると。
自分や弟は、いざという時にどちらの嫁もちゃっちゃと動いてくれるところに助けられている感じです。
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