一段落

さて、親父の転院翌朝、仕事に行こうかと準備始めた時に「大阪市内からの着信」の表示。
また公庫からの「お金借りませんか?」かと思って出ると病院から。
大阪市内と違うがなというのは置いといて、急変したのかと思い、嫁もまだ出勤前だったためスピーカーホンで。

整形外科の医者から、肺癌の検査結果を待たずにとにかく少しでも早く背骨の手術をしてしまいたいとの事で、午後から家族の誰かが説明を聞きに来てほしいと。
病院からオカンに掛けたものの、トイレ行ってたかで出れず、こっちに掛かって..................

オカンに連絡し、弟は今週は自宅でリモートで仕事すると言っていましたが出ず。
すぐに義妹から電話が掛かってきて、弟はちょうどプレゼン中だと。
事情を伝え暫くすると弟から着信。
肺癌の方はまだ手付かずながら、とりあえず腰の方は手術が可能って事でモルヒネかそれよりキツい薬の話も出るほどの痛みはマシになるんじゃね?

説明当日、親父は肺の細胞を取って、CTやMRIを撮り直したりで検査。
整形外科の医者に呼ばれ説明が。
胸椎の2番7番10番12番が腫瘍に圧迫されて崩れかけ、神経に刺さっている。
何かの拍子に力が加わると完全に潰れてしまい、潰れてしまうと寝たきりになるから、とにかく早く手術で骨の補強をしたい。
方法としては崩れかけてる胸椎の上下の骨にボルトを打ち込んで、プレートでブリッジみたいな感じで補強する。
ただ、背骨全体的に腫瘍が侵食していて、既に骨折してる箇所もあり、骨自体が脆くなってボルトが打ち込めない箇所もある。
その時は骨にセメント流し込んで固めてからボルト留めする。
術後はコルセットで固定すれば、体を起こしたり、リハビリによって車椅子に座ったり歩行器使って歩ける可能性も出てくる。

オカンは「何でこんな事になったんですか?」とか医者に言い出したのでイラっと。
医者もヒマやないねんから、なってしまった事を訊いたところで意味無いがなと。
「それはもういいから、ちょっと黙って」と遮り、とりあえず一番知りたい事を。

その手術をすれば、今痛がってるのは緩和されますか?

MRIの画像を見せられ「ここは神経がハッキリ写ってますが、ここは腫瘍に押されてハッキリ写ってません」みたいな説明されると、素人目に見ても痛いのがわかります。
昔から痛みに対しては耐性あったように思う親父が、叫んで唸るほどの痛みだったので、そこを何とかしてほしいなと。

癌という腫瘍自体の痛みは残りますが、神経を圧迫してる痛みは無くなります。
そうすれば放射線なり薬物投与なりで更に痛みを緩和していける治療も可能になりますとの事。

その後は麻酔科の医者からの説明。
紙に絵を書きながら、点滴を2本入れて麻酔をこう入れてと丁寧な説明が。
真剣で丁寧な説明に反して、全く絵心のないヘタクソな図説が、笑いを取りにきてるのかと思うほど..................
大掛かりな手術になるから夕方に始めて場合によっては夜中まで掛かるかもしれない。
輸血の準備や術後の容態でICUの手配もしている。
病院から手術室に移動の時に、顔を見る事はできる。

義妹に連絡。
明日、娘連れてそっち行きますと。
弟も何とか仕事を他の人間に振れたようで行くと。
ちょうど昼から翌昼まで通し勤務の嫁に連絡すると、朝に上がるよう調整できたようで、自分は弟家族を新大阪へ迎えに行き、嫁は娘と一緒にオカンとオカン姉を迎えに行ってもらう段取りに。

皆間に合い、運ばれてる最中に話す事もできましたが、救急搬送されてから1週間も経ってないのに体重10kg落ちたその様子に何というのか..................

今の時代なら確実に懲役もんだろう理不尽な暴力の中で育ち「長渕キック」「北斗百烈拳」の嵐の中、クリティカルヒットにならないよう避けたりして身を守るテクは身についたと思います。
正直、中学高校ぐらいで同級生なんかと喧嘩になった時、殴られても「親父のパンチの方が痛いやん」と思う事もしばしば。
それがもう手足も細くなって、痛み止めの影響か声も掠れて息も絶え絶え。
自分の中では親に対してかなりドライに考えていましたが、実際に「死」というものが具体化されたこの状況になってみると..................

色々あったけど、他の人間より耐性がついた面もあるし、特に悪党な人との人間関係において「ここに触れたらこの人キレる」みたいなものは察する事ができるようになってたかと。
嫁に対しても、嫁と娘か親かを選ぶ場面で、迷う事なく嫁と娘を選んだ事で、その後は多少、外に女作ろうが仕事辞めようが「ハイハイ、私が何とかしてあげよう」ぐらいの信頼を得られたかなと。
反面教師的に親父は良い存在だったように思え
「残る余生はできるだけ苦痛が無いように生きてほしい」と思ったのが自分でも意外でした。

15時に手術室に入り、長く掛かるとは言われてたので、途中、依頼のあった仕事を終え実家で交代でメシ食べて、うちの娘は弟の娘らと遊ぶ係を。
20時頃に弟と病院に行き、うちの嫁と交代。
「閃光のハサウェイ、めっちゃおもろかった」
「ククルス・ドアンのやつもよかったで、アニキ観る?」

等と「自己都合で自分の仕事を部下に投げて3日も空けたなんか、会社立ち上げて10年以上経つけど初めてやわ」と言ってた割にガンダムの話ばかり..................

0時前、執刀医が「終わりました」と。
前日、オカンと一緒に説明受けた際、40歳ぐらいのちょい茶髪な男前で、金も女も不自由ないんやろなぁぐらいに思っていましたが、ぐったりと疲れた様子が、これはカッコいいし8時間か9時間近くミスは許されない張り詰めた中で、そら高給も当たり前やわと。
自分の仕事で高速の降り口間違えて「ごめんなさーい」とは責任の重さが違います。

手術自体は一応は成功。
思ってた以上に背骨全体に腫瘍が侵食してたけど、出血が酷くなかったから処置はしやすく、取れるところは超音波の機械使って腫瘍を砕けた。
骨が脆くなってるところも多かったのでセメントで補強してネジ留めしてる箇所もある。
第2胸椎の状態が良くなかったので、胴体のコルセットに加えて首もコルセットが必要。
今は整形外科メインで呼吸器内科がサブだけど、今後は呼吸器内科メインで整形外科はサブとしてリハビリ等に関わっていく。
そんな感じの説明でした。
IMG_5752.jpg

そのままICUに入って、オカンと長男である自分は面会に入れましたが、口も鼻も管が入り、あちこち機械や点滴がついて麻酔で寝てる状態。
IMG_5754.jpg

翌日、朝から夕方までびっちり依頼が入っていましたが、大阪城から神戸まで送って2時間ほど待って伊丹空港というお客さんの予定が早まったので、ICUの面会時間に間に合い、病室へ。
もう意識は戻っており
「水を買ってきてくれ」を連呼。
急にゴクゴク飲めんやろと思っていると、看護師さんが水に浸した棒の先にスポンジみたいなのがついたやつで、唇や口の中を湿らせてくれてましたが、喉の乾きが限界なのか、そのスポンジを必死に噛んでいて、その様子が魚みたいで思わず噴き出しそうに..................
一緒に立ち会ってくれてる看護師さんは「晩には飲めますからね、病院にお茶とお水は用意してありますからね」と説明してくれるも
「今飲みたい、バナナとイチゴも買ってきてくれ」
何というか話の通じない子供のワガママのようで、もう1回麻酔ぶち込んだらいいのにと。
そのうち「バナナ持ってこんかい!」とかブチ切れられそうなので「もう時間やわ」と、そそくさと退室。

実家に寄って様子を伝えると、弟が「俺ん時と全く同じ、スポンジちゅーちゅー吸ってて、俺笑ってもうたわ」と。

弟はこれからの事にあたり、オプジーボって薬は最大月25万ぐらいで済むし、ホスピス入れても12万ぐらいやろ?アニキのとこは送迎用にベンツのVクラス買ったらいいねんと..................
お前んとこの会社名義で車とガレージ用意してくれるなら何でも乗るでと言うと、うーんと考えてる様子。
義妹は今後、毎週末は東京から大阪に来て介護すると言っていますが、ちょっと待てと。

今、ひとまず背骨の手術が終わって寝たきりの可能性が低くなっただけで、肺癌自体も他に転移してるかどうかも検査結果待ち。
軽量で折り畳み可能な電動車椅子をネットで発注しかけてる弟に「まだ待ちいな」と。
ずっと病院に入ったままなのか自宅療養ができるのかは医者の話を聞いてからで、それよりも介護保険の認定手続きや保険関係の申請を先にやった方がいいんやないの?と。

それと..................
弟と2人になった時に話したのが、親父が死んだ後の事。
親父が死んだ際、保険金や家等、何かしら相続するものが出てくるとは思いますが(よそに隠し子がいたりすると、自分や弟は「なかなかやるやん」だと思いますが、女連中は怒り狂ってややこしくなるかも)、うちは「1/4は絶対貰うから」って言うつもりはなくて、特に家に関しては俺の取り分はオカン姉にあげようと思ってる。

今はオカン姉は独り身でオカンやオカン姉の実家に住んでるものの、実家自体はオカン弟の持ち物。
じいちゃんが死んだ時オカンの兄妹4人で家をどうするかの話し合いが。
長男は嫁さんの実家住まいだったので、あまり強く出られず権利放棄。
次男であるオカン弟の嫁さんが割と強欲な上に、親戚付き合いも嫌うタイプ。
オカン姉は独り身だった事もあり、じいちゃんばあちゃんの介護を最後までしてそのまま実家に。
オカン弟嫁が「実家はうちのもの」を主張。
オカン姉は度が過ぎるほどお人好しなので権利放棄しようとしましたが、オカンが「ふざけんな」と。
今は無難にやってても先の事はわからんから、オカン弟が先に死んだりした時に、オカン弟嫁がオカン姉を追い出さないという条件付きでオカンが持つ1/4の権利はオカン姉に譲るから堂々と実家に住んどきと。

それから20年ほど。
やっぱりオカン姉は居心地は良くないと。

弟は「それが良いと思うわ、俺もマンション売ってでも現金化して1/4くれとか思わんし」

オカン姉には、自分が生まれた時から2人目のオカンと言えるぐらい世話になっています。
親父が暴れたら二段ベッドの枕元に常備している靴履いてリュック背負って窓から飛び出し、近くの公衆電話からオカンの実家に電話して、オカン姉に迎えに来てもらうのがいつものパターン。
うちの嫁は「お姉さん、うちに呼んだげたら?」と常々言っていて、自分も「居心地悪いんやったら、いつでもうちに住んだらええよ」と言っていますが
「これは私の意地や」みたいな..................
まぁ、うちは戸建てなので年寄りには階段も無いマンションの方がいいだろうと。

弟にしても、金の援助はできるけど、東京で会社構えてる以上、物理的に手伝える機会は少ないので、オカン独りで過ごさせて、オカン姉はどうしてんのやろ?みたいな心配するよりは一緒にいてくれた方がいいと。

親父の方はGW前の平日か明けには検索結果は出るとは思いますが、親戚間でのギスギスが無いよう考えていきたいところです。

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