最終局面

先日、昼間に面会に行き、これから放射線治療だとエレベーターまで見送った夕方
「呼吸が浅くなっている」と、オカンのとこへ病院から連絡が。
そしてその日の23時過ぎ、再度病院から悪化した旨の連絡があり、ちょっとオカンもテンパってるとこがあったので、嫁と娘には「いつでも出れる用意だけしといて」と伝え、自分は実家へ。

夕方の電話の際、間が悪い事に、東京に戻った弟のとこの長女が5日間ほど40℃近くの原因不明の発熱。
その晩も引かなければ緊急検査と聞いていたので連絡はせず。
けど晩に2回目の電話ともなるといよいよマズいと思って連絡。
弟は「車で行く」と言ったものの、昔、BMWのZ4でぶっ飛ばし、99km/hオーバーでオービス光らせたアホ
今は注文してるカレラは3年待ちなものの、カイエンGTSとM440iだったかのどちらかで慌てて飛ばしたら、事故っておまえが死ぬじゃね?と思ったので、朝イチの飛行機か新幹線で次女だけ連れといでと。
義妹は長女に付きっきりになるやろうし、次女まで置いてきたら大変やろうから、こっちに連れてきさえすれば誰かしら見れるからと。

夜中寝れなかったので、オカンと葬式の段取り等も話して6時に一旦自宅へ。
8時半ぐらいに弟と次女が新大阪に到着すると連絡あったものの

「アニキ疲れてるやろうし、こっちは直接実家行くからちょっと寝とき」

.........初めて弟から気遣われました。
人の死期が見えるスキル持ちで、実は俺も長くないんか?と思うほど気持ち悪いものです..................
オカンや弟らは嫁に任せて暫く仮眠してると、義妹から「長女の熱下がったんで今から大阪向かいます」
.........いや、病み上がりでムチャさせんときと言いましたが、最後かもしれないから行くと。
義妹とその長女を新大阪まで迎えに行き、そのまま病院へ。

親父の方はモルヒネを投与したからか、少し持ち直し。
ただ、それまでは鼻の穴から酸素を送っていたのが酸素マスクに。
看護師さんからの「8L流してます」の説明に、自分らは「そうですか」としかわかりませんが、義妹やうちの娘は「え?かなり多くない?」みたいな反応。

うちの娘も親父が入院してからは面会の制限があり、初めて会うので「じいちゃん、来たよ、大丈夫?」みたいに話し掛けていましたが、親父はゴニョニョ。
娘が何とか聞き取ろうと口元に耳を近づけ「じいちゃん、じいちゃん」と呼び掛けていると、少し大きな声で..................

「ガリガリ君が食いたい」

娘よ、おまえの存在はガリガリ君未満か.........
弟は堪えていましたが、自分は思わず吹き出してしまいました。

翌日、主治医からは余命に関しては「週単位」で考えておいて下さい、ただ、痰を自力では全く吐き出す事ができず吸引のみの対応なので、突然窒息という事もありえます。
なので面会の制限は無くして、個室なので時間も人数も都合のいい時に自由に来てあげて下さい。

コロナの影響で、病院自体は5月8日以降は緩和されたとはいえ、面会は近しい家族限定の1日2人、2人合わせて15分ですが、それが夜間であろうが泊まりであろうが自由となると、いよいよ最後の時が近いのかなと。

そして親父の姉らに連絡。

親父は8人姉弟の次男で末っ子。
長男は自殺、6人いる姉らの3人はもう亡くなっていて、まだ生き残ってる3人は皆、宮崎の延岡。

長女のT子おばちゃんは、旦那は新聞社の社長のくせにケチで、自分が小学生の頃、フェリーに乗って1人で宮崎に遊びに行った時「お金貰おうと思って来たの!」みたいに言われ、苦手なタイプ。
去年ぐらいに脳梗塞で倒れ半身麻痺になってると。

オカンに「あのケチなオバハンのとこは連絡せんでええやろ?香典勿体ないとか言われたら、さすがにキレるで」とは言いましたが「そういうわけにはいかんわね」
「じゃあオカンが電話して」

「いやぁ、私もっと苦手やからアンタお願い」

オカンも義姉が6人もいると、それなりに苦労した様子。

旦那さんに電話で伝え完了。

次にH子おばちゃん。
ここは親父と仲が良く、宮崎に遊びに行くとなるとここの家に泊まっていました。
長男Dは自分の1つ歳上で、そいつには小さい頃はよく泣かされていましたが、中学ぐらいで腕力的に立場は逆転。
遊びに行った際はいつも奢ってくれるようになりました。
大阪の専門学校に進学し大阪で一人暮らしをしていたのでよく遊びに行き、Vガンマのケツに乗せ、これ以上出ないぐらいまで飛ばして以来「バイクはコワい乗り物」だと今だに言うヘタレ。
ホテル代が勿体ない時は「部屋貸して」
けど、何だかんだで今だに半年ごとぐらいで電話したりの仲。

H子おばちゃんは半ばパニック。
「いつでもそっち行くようにはしとくから、また連絡ちょうだい」

そしてF子おばちゃん。
親父が高校卒業して集団就職で大阪に来た際、一緒についてきてくれたらしく、一番恩があると言ってたおばちゃんながら、自分は連絡先知らず、最後に会ったのは高校卒業してすぐ。
Vガンマで盛大に事故ったのと同時刻に宮崎のばあちゃんが亡くなり、自分は左の鎖骨と腕骨折、両指8本骨折、左膝の皿がズレた状態。
ばあちゃんが死んだ連絡を聞いて「俺は行くの無理やで」と言いましたが、オカンが「義姉さんらから何言われるかわからんから、本家長男のアンタは這ってでも来なさい」で宮崎へ強制連行...............

F子おばちゃんの長女で、宮崎に遊びに行くと「ちゅんちゅん丸兄ちゃん〇〇して遊ぼ」とよく懐いてくれてた、U子という2つ下の女の子がいました。
ばあちゃんの葬式会場で久々に再会。
控え室で「あちこち痛ぇ.........」で寝ていると「ちゅんちゅん丸兄ちゃん、エッチした事ある?」と訊かれ
「そんなん中学からガンガンヤッてるわ」と、やや見栄張って.........
..................マトモに身動きも取れない五体不満足ながらササッと若さ故の..................
翌日なぜか「エッチ」と言われましたが、それ以来会ってません。

「直系の祖母の葬式会場で従姉妹と~」
多分これがこれまでの人生の中で、一番の罰当たり行為だったと思います。

そして今回の件で連絡がつくのはDのみ。
Dから「U子が連絡先教えてくれって言うてるけど、いい?」と。
親父の件をH子おばちゃんから聞いたようで電話したいと。
2回ほど離婚してまた再婚したというのは聞いていましたが、今は落ち着いてそう。

OKするとすぐ連絡が来て、親父の経緯と現状を詳しく説明。
嫁も隣にいたのでスピーカーホンで話していましたが、内心、昔の話を蒸し返されないかドキドキ。
過去、嫁の後輩や友達となし崩し的な関係になっても「ふーん、エラいモテますなぁ」ぐらいで済んでいましたが、さすがに血縁関係だと「はい、ケダモノはこの線から入らないで下さいねー」みたいに言われても不思議ではなく..................
と、いらん心配しながら話していると、F子おばちゃんが親父の件を聞いて以来、ショックで動悸も激しく体調崩してると。
H子おばちゃんもF子おばちゃんも、もう80歳いってるかどうかの年齢。
U子も看護師してるようで、面会の制限が無くなったという意味は理解した様子。
「連絡は親父が死んでからと思っててんけど、おばちゃんらはまだ意識があるうちに会いたいって思うかな?歳が歳やからどうしたいかをおばちゃんらに訊いてくれへん?それによって、こっちもできるだけの事はするから」と伝え終話。

暫くして折り返し。
「今から用意して車で大阪に向かう!」

宮崎に住むF子おばちゃん夫婦とU子夫婦がH子おばちゃんを迎えに行き、熊本に住むH子おばちゃんの長女Y子と下関辺りで合流し、車2台で向かうと。
Dは夜中に埼玉から夫婦で向かうと。

とりあえず自分は依頼の仕事中だったので、嫁に事情を伝え、嫁の勤め先のツインの部屋3室の用意。
到着は夜になるので、面会した後で外食できるところも限られるし、おばちゃんらも長時間の移動で疲れてるだろうしで、部屋で食べれるよう1人分ずつに分けて6人分の寿司を用意。

10時間ほど掛かって到着。
「年寄りはトイレ休憩が多くなるから時間掛かった」とU子Y子が。
おばちゃん2人と自分の弟夫婦が先に病室へ。
おばちゃんらに渡しても突き返されそうな気がしたので、U子とY子を離れたとこに呼び、5万円ずつ包んだ車代を。
「こんなん受け取られへん」と2人とも遠慮していましたが、Y子には無理矢理、U子には「おめぇは運転してねぇだろうが、旦那さんに渡したげや」で渋々受け取り。

先に病室から出てきた弟が目を真っ赤にして
「おばちゃんら泣き崩れて大変や、親父も誰が来たかわかって興奮したんか、機械がピーピー鳴って看護師飛んできた」と。

暫くして交代。
Y子、U子とU子の父、自分が病室へ。
最近になって知りましたが、親父の姉のうち次女のI子おばちゃんというのが大阪の松原に住んでいました。
I子おばちゃんの旦那は建設会社の社長でしたが、家の作りや室内に並んだ提灯、床の間に飾られた日本刀、その風体からして今思えばヤ〇ザ。
酔っ払って幹線道路で寝てしまい、気付くのが遅れた車に轢かれ死亡という、加害者が気の毒に思えた最後。
その後、そこの娘が結婚し離婚しましたが、孫からの母親とI子おばちゃんへの家庭内暴力が酷くなったようです。
その話を聞いたU子が「私がおばちゃんの面倒を最後まで見る」と言って宮崎に呼び、U子に世話されながら、余生は穏やかに暮らし亡くなったと。
そのゴタゴタの仲介というのか手伝ってくれたのがうちの親父だったようで、親父としては姉を見てくれたU子に、U子は力になってくれた親父に、お互い感謝してる関係だったようです。

「おじちゃん、U子やよ、わかる?心配で宮崎から飛んで来たんよ」
と呼び掛けると、モルヒネの影響からか焦点も合わず朦朧としながらも
「U子、ありがとうな、姉さんのこともありがとうな」と。
U子の父親が
「親父くん、ワシや、わかるか?」と呼び掛けると
「義兄さん、ごめんな、迷惑掛けてごめんな」

そこで呼吸が苦しくなったのか、自分で酸素マスクを外そうとしたり胸元を掻き毟ったり。
色んな数値をナースステーションでモニタリングしてるようで、すぐに看護師が走ってきて処置を。

おばちゃんらからすれば、末っ子の弟で一番元気やった印象しかない親父の変わり果てた姿がショックで血圧が上がり、待合室のソファーに横たわる状態。

暫くすると、自分、弟、オカンが看護師の主任に呼ばれ
「今夜、誰が泊まられますか?」と。
「誰か」ではなく「誰が」という言い方に
「泊まった方がいいって事でしょうか?」と訊くと
「こちらからは強制できませんが、容態的に良いとは言えません」

前日、病院の規定から外れ、面会の時間も人数も時間帯も制限無しにすると主治医から言われ、次は「家族は泊まってほしい」を暗に言われたとなると、看護師である義妹やU子でなくても察しはつきます。

その日は弟が病室に泊まり、嫁は義妹とその子供らを実家へ送り、娘と一緒に一足早くホテルへ。
嫁の勤めるホテルなので、ここ最近のバタバタで有給休暇使って休んでいるのは支配人も把握済み。
従業員価格で3部屋ともデラックスツインにグレードアップされ朝食券も。

こちらは先頭走って宮崎の2台をホテルへ連れて行き、嫁と合流して無事チェックイン。

翌朝、埼玉からD夫婦も病院に到着。
ホテルを出た宮崎組も最後に病院に寄ると言うので病院で待機。
皆、これが今生の別れだと確信しているので重い空気。

病室を出てからH子おばちゃんとF子おばちゃんは
「生きてるうちに会いたいと思って何とか宮崎から来たけど、自分らはもう歳やから葬式には来れん、だから先に渡しとく」とお見舞いとは別に香典も。
姉弟が多いと合う合わないもあると思いますが、この2人の姉らにとっては、最後まで可愛い弟といったところで、親父が認識できる時に会いに来てくれて感謝です。

「また会えたのはよかったわ、電話番号もLINEもわかったし、また連絡するね」とU子。

歳取るたびに段々、従兄弟らと会う機会となると誰かの不幸事。
今回、親父の最後の心残りであったろう、昔から仲良かった姉らを会わせるために「面会の制限無くなった」と聞いてすぐ、仕事も休んで宮崎から車飛ばして連れてきてくれたY子やU子、その旦那には多大な恩を感じます。
DやY子、U子には「ありがとう、この恩は忘れへんよ、おっちゃんおばちゃんらに何かあれば、必ず力になるから」と伝え、皆、帰路へ。

状況としては、看護師の主任から葬儀の準備等の話も出るところまできていて、朝に見た時より夜は具合悪そうというパターン。
意識が混濁しながら、末期ガンの症状として手をベッドの手すりに打ち付けたり、酸素マスクや点滴を外そうとしたりといったものがあるようで、拘束具の装着の同意書を求められたりしましたが、翌日になると、拘束具を着けなくても手を動かす力も無いといった感じ。
窒息の可能性があるので絶食となり、点滴とスポンジに果汁等を浸して口の中に塗る程度が限界のようで衰弱していってます。

もう長くないのはわかるので、あと少し、出来る限りの事はしてやりたいところです。

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