週末、親父が他界しました。
早朝、関空送りの依頼を済ませ戻る途中、前日から病室に泊まり込んでたオカンから電話が。
「看護師さんから、身内の誰か1人は24時間付き添って下さいって言われた」夜の泊まり込みは初日が弟。
弟は明けの日にどうしても会社に戻らなければならず、実家に泊まってる家族連れて
「また週明け来るから」と東京へ。
2日目がオカンで次が自分の予定でしたが、24時間誰かが付き添いというのは、もう死期が近いのかと。
自宅に帰って仮眠して、夕方頃から病院行こうかと思っていましたが、オカンが風呂入りたいと言うので、自宅には帰らず仕事の足のまま病院へ。
嫁がオカンを迎えに来る時間まで待ち、オカンは実家へ。
09:00頃、点滴の交換や清掃で看護師さんらが入れ代わり立ち代わりでバタバタしてる中、それまでずっと手の指に付けていたパルスオキシメーターが無反応。
38.5℃の発熱があるのに手足は冷たく、冷たいとパルスオキシメーターは測定しにくいようで耳たぶに付ける事に。
そして血圧は70で尿も殆ど出ておらず。
以前、義妹から
「血圧が下がってきて尿が出なくなってきたら死期が迫ってきてる現れ」と言われていたので、看護師さんに訊ねると
「あまり長くないと思います」義妹に連絡すると
「昨日の段階で48時間以内に亡くなる人の症状は全て出てました」と。
「24時間付き添い」と聞いてすぐ弟には連絡を入れ、日曜日に大阪に来る予定を早め
「今晩、車でそっち向かうわ」とは言っていましたが、再度電話しても出ず。
義妹に電話すると弟は自宅のテレワーク部屋でプレゼンに入ってるから伝えられないけど、容態が容態なだけに終わったらすぐ伝えると。
暫くして弟から
「後のスケジュールは全部調整つけたから、昼にはそっちに向かう」と。
すると親父の姉のH子とその長女Y子が病室へ。
前日、見舞いに来た後、京都の親戚宅へ泊まり、神戸港から車をフェリーに乗せて帰る途中に寄ってくれました。
嫁は実家でオカンを拾い病院へ。
自分はスーツだったので一旦帰って着替えて夕方にまた来るわで、お母ちゃんと買い物の予定だった嫁と病院を後に。
昼過ぎ。
仮眠から起きて、買い物から帰ってきた嫁と話しているとオカンから着信。
「お父さんの呼吸が弱くなってる.........」嫁は
「アンタはとにかく先に病院行って!私は娘とオカン姉拾ってから行くから!」病院到着.........ん?
慌てて病室に着くと親父は朝と変わらない様子。
どういう事なのかオカンに訊くと..................
ソファーでウトウトしながら夢と現実がごちゃ混ぜになってたようで、何故か電話してしまったと。
運転中の弟に電話で伝える内容ではないと思ったので義妹にLINEで送り、義妹から
「わかりました、まだ伝えないでおきます」の返信もらったのに..................
嫁や娘、オカン姉も焦ったやろうに..................
オカンも疲労の限界と思った嫁は、娘とオカンを連れて実家へ。
自分とオカン姉だけ病室に残って数時間。
看護師さんが血圧を計りに来ましたが上手く計れず。
何度かトライして上が64、下が36。
「低いですね」別の看護師さんも来て、体を拭いたりすると言うので、一旦オカン姉と外に出て暫く..................
看護師さんが走ってきて
「呼吸が弱くなってるので中へ入って下さい!」病室に入った瞬間、一呼吸だけ親父の腹が動き、それ以降動かず。
ナースステーションでモニタリングしていたのか、別の看護師さんが走ってきて
「親父さん!親父さん!聞こえますか!」と、手首や頸動脈で脈を取ろうとするも反応無し。
「奥様はどちらですか?」オカンに電話すると5分ぐらいで着くと。
主治医が入ってきて状態を診て、看護師さんが
「奥様はもうすぐ来られます」オカンが到着してから診断が始まり17:12 亡くなったと告げられました。
「何で先に逝くんよお父さん!仕事辞めてこれからゆっくりできるから、色んなとこに行こうって言ったやん!」取り乱したオカンをオカン姉が宥め..................
自分はとにかく冷静にと思い、嫁や義妹に電話。
暫くして嫁や娘、弟家族も到着しましたが、泣き崩れている弟を義妹が宥め、病室は混乱状態でした。
別の看護師さんが来て、オカンの様子を見てから
「長男さんでしたよね?」と。
葬儀屋をどうするのか、搬送はどうするのか等を訊かれ、遺体を綺麗にするまで1時間半ほど掛かる旨を伝えられました。
とりあえず神戸港に着いたと連絡あったY子と親父姉H子に連絡。
フェリーをキャンセルして実家に向かうと。
もう悲しんでるヒマもありません。
嫁と待合室に移動して、それまである程度やり取りをしていた葬儀屋に連絡。
遺体を出せる時間と搬送車の到着時間を調整。
嫁はY子とH子が宮崎に戻らないとわかって、すぐに会社に連絡しホテルの部屋を確保。
1時間半ほどで搬送車が到着予定。
生前、親父は
「家に帰りたい」と言ってたので、実家へ安置予定。
嫁が弟に
「弟家族乗せて実家へ行って受け入れ準備して!」「私と娘で病室の荷物引き上げて、お義母さんと姉さんはうちの車で出るから!」と、ちゃちゃっと決めて皆出発。
オカンは話せる状態ではなかったので、自分が親戚関係に順番に電話していきましたが、気付けば待合室に自分だけポツーンと..................
暫くして看護師さんが搬送準備が整ったと伝えに来ましたが、葬儀屋の到着時間までまだ時間があり、朝から何も食べてないのもあって病院内のコンビニへ。
いつもは
「絶食」と札の掛かった親父の病室でメシ食べるのは気が引けるので、待合室で食べていましたが、まだ亡くなったばかり、搬送待ちで独り病室にいる親父が寂しそうで病室へ。
病室に入り、親父の横で
「鮭おにぎり好きやったよなぁ」なんて思いながら食事を。
喧嘩したり疎遠になったり仲良いばかりの親子関係ではなく
「親父より豊かな生活してやる」
「親父より家族を大事にしてやる」そう思ってずっとやってきましたが、亡くなって感じた喪失感の大きさに、初めて
「親父は俺にとって目標であり超えたい壁やったんや」と理解しました。
酔っ払った親父を迎えに行った時
「お前も弟も、ツテもコネも無いとこから個人事業主と社長になって家族を養って、俺は2人の息子を誇りに思ってるんよ」そう言われて、初めて認められた気がして嬉しかったのを思い出しました。
病室で10分ほどの2人きりでしたが、色んな事が思い出されて自分が泣いているのに気付きました。
明日は告別式。
最後までしっかり見送ってやろうと思います。
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