贈り物

このところ毎日のように従兄妹のU子から電話が掛かってきます。

U子は親父姉弟の5女F子の娘で、Rという弟がいます。

親父方の従兄弟で自分と一番仲良いのはDという1つ年上の男。
Dの母親は親父姉弟の6女H子で、Y子という姉がいます。

さてこのD、昔から「下には高圧的なお坊っちゃん」といったところで、小学生ぐらいの頃はよく泣かされていましたが、中学生になって宮崎に遊びに行った時、いつもの調子で後ろから「ドロップキーック!」と蹴られ、自分転倒。
もう「反撃」というものを覚えていたので、柔道のように足引っ掛けて倒し、倒れたところを頭に「タイガーショットォォォ!」で初勝利。
家の中で裸足だったので、足の甲折れたかと思うほど痛かったのですが、それ以来よく奢ってくれるようになりました。

とは言え性格は変わるものではなく「周りが自分のために動いてくれて当たり前」といった様子。
専門学校通うのに大阪に下宿に来た時は、あれこれ手伝った親父やオカンに「ありがとう」の一言も無かったようで、特にオカンが「あの子は王子様みたいな子や」と。
「なんやアイツ生意気なん?蹴りでも入れといたろか?」とオカンに言いましたが
「お義姉さんに何言われるかわからんから、アンタ絶対手ぇ出したらあかんよ」と..................

それから自分は浪人、大学、就職、結婚となっていったので、嫁が妊娠中に宮崎の青島神社だったかに安産祈願に行った時会ったのが最後。
そこから5年ぐらい前にFacebookに出てきて連絡を取り合うようになった感じです。

DはNTT系の会社に務め、趣味は写真。
カメラや機材はプロ並みのものを使い、撮る写真も綺麗。
リア充な生活を送ってるんやと思っていました。

が、親父の末期癌がわかって連絡すると、現在無職だと。
職場でパワハラを受け退職、その後、施設警備の職に就きましたが、仕事先で殴られて骨折しそのまま退職して今に至ると。
正直、自分からすればパワハラや暴行なんてボーナスタイムぐらいにしか思っていませんが、小さい頃からの性格を考えると「お前がイラつかせたんが原因ちゃうの?」と思いました。

そしてU子からの電話。
「聞いてよ、Dがね、お金貸してくれって言うてきたんよ」

..................え?

話を聞くと、失業保険が切れて健保の延長の金も払えないとか。
Facebookでは奥さんと旅行しまくりな写真をよく上げていたので「奥さんが稼いでるから大丈夫なんちゃうの?」と言うと..................

10歳上の奥さんだと思っていた人は無職で籍も入ってない内縁関係。
奥さんはU子と同じく子宮の病気で全摘出していて、元々子供は望めない。
その事が原因ながら元旦那とは円満離婚しており、Dと奥さんが住んでいるのは元旦那の持ち物のマンション。
元旦那は再婚して10歳ぐらいの子供がいるけど、元旦那家族とDと奥さんの5人でメシ食べたり旅行行ったりしてる。
Dは子供を欲しがってるから、良い人が見つかったらいつでも自分を捨ててもらって構わないと奥さんは言ってる。

ナ ニ ソ レ ?

夫婦の形や元旦那元嫁との付き合い方は人それぞれなので、本人らが納得してるなら外野がどうこう言う問題ではありませんが、Dの奥さんはちょっと頭お花畑な印象。
問題なのはDはもう48歳で、見た目的にも小汚いオッサン。
子供望めるような歳の女が、無職のオッサンに振り向くか?
寝言は寝て言えと。

まして、Dの母親である6女H子から「車買うから金貸してって貸したけど、まだ返ってきてない」と言ってるのを聞いて
「この歳で車買うのに親から借りるか?」と失笑でしたが、U子には「一括で自分で買った」と言ってたようで、U子も呆れる始末。

苦労重ねたU子の方が、社会的経験値も人としての器の大きさも上だと思いますが、Dから見てU子は歳下。
金を借りようとしてるのに上から目線な発言ばかりで、U子がアドバイスをすると「もういい!」とガチャ切り。

そしてふと思い出しました。
親父の面会制限が無くなった際、Dは埼玉から車で向かうとの連絡が。
その後、うちの弟から「Dがうちの会社に、従兄弟やけど社長の連絡先教えてってメール送ってきて、受けた子がこっちに連絡寄越してきたわ」と。
Dは弟の会社を知っているので、その時は「へー」としか思いませんでしたが、よく考えると弟の連絡先など兄である自分に訊けば簡単やのにと。
それでU子の話を聞いて「これひょっとして、弟の会社で雇ってもらおうと思ってんのか?」と思いました。

弟にはその旨伝えると「アハハ、あんな甘えた奴はうちの会社で3日ももたんけど、一応気ぃつけとくわ」と。
U子にも「しつこいようなら俺からDに言うから、また言うて」で終了。

そしてそれ以外は28年ほど空白だったプライベートな話を。
「4年前に再婚した旦那は田舎のブサイクなオッサンて感じで全然私のタイプじゃないけど、うちの両親の事を大事にしてくれるから妥協に妥協」

..................

「あのな、俺は嫁に車で5分のとこに買い物行こうて言われても、行ってらっしゃいやで。
旦那さんからしたら見ず知らずの親父と面会できるって聞いて、仕事もキャンセルして皆乗せて一人で宮崎から大阪まで運転して連れて行くって、なかなかできへんよ。
いい男やんか」


「兄ちゃんとは全然違う。
お父さんお母さんも、兄ちゃんの事を物腰は柔らかいし言葉遣いは綺麗やし、あの子は何があってあんな変わったんや?って不思議がってたよ」
と。
(高校卒業してすぐぐらいに宮崎のばあちゃんが亡くなり葬式へ。
浪人確定で喪服など持っておらず、学生服も変形学生服のみ。
当時中学1年生だったU子の弟Rに「兄ちゃんの制服カッコいい」と言われ「俺もう卒業して着る事無いからあげるよ」と言ったら「そんなの渡さんといて!」とU子の母親F子に怒られた事が.........)


そして話の中で「クマのぬいぐるみが欲しい」と。
おばハンがナニ言ってんだと思いましたが、28年も何もしてやってない事や、うちのオカンを気遣ってよく電話をしてくれてる事なんかもあって贈ってあげようと。

チョイスとして、クマといえばこれ。
1mぐらいある「リラックマ 特大」というやつ。
IMG_5918.jpg

届いてすぐU子から電話がありましたが「そっち今大変やのに...ちょっと冗談で言っただけやのに...嬉しい~」と号泣..................
.........そのリラックマが変死体にならないよう、身の振り方は弁えておこうと強く思いました。

まぁそれはいいとして、U子の母親F子に対して、生前から親父は恩を感じているのはわかっていました。
高卒の集団就職で夜行列車に乗って宮崎から大阪に出てきた時、一緒に付いてきてくれて生活用品だの何だの揃えてくれたのがF子だったとよく話していました。

18歳で大阪に出てきて72歳まで現役で働いて「仕事辞めたらゆっくりしながら色んなとこ行こうね」のオカンとの約束は果たせず、さぞ無念だったろうと。
けど72歳で営業部長の肩書きのまま他界したので、親父の人生は仕事そのものだったと思います。

なので親父が亡くなってからF子が毎日泣いているとU子からは聞かされていたので「おばちゃんが落ち着いてから」と前置きして、親父の人生だった「仕事」の出発点になったF子おばちゃんには、親父が仕事で愛用していたものを形見分けで貰ってほしいと思ってると伝えました。
が、U子がその事を伝えたら、また大泣きしたと..................

F子おばちゃんももう80歳手前。
20歳頃の時、首のリンパが腫れて宮崎の病院で検査しても原因不明。
大阪に出ていた姉から「こっちに良い病院あるから来なさい」と言われ、大阪の生野区の病院で検査したところ癌。
幸い発見が早かったので治ったようですが、放っておいたら危なかったと。
60年近く前の話で、病院名も忘れたとの事ですが、死ぬまでにもう一度、生野区に行きたいと言ってると。

F子おばちゃんには自分も一番恩を感じているので、そっちの予定に合わせて、運転も案内も宿泊先も、全部こっちで段取りして恩返ししたいところです。



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