人の価値

親父関連の申請や手続きも一通り完了し少し日常へ。

うちの内装外装の改造改良を毎回頼んでる工務店のおっちゃんに実家へ来てもらい、遺品整理の段取りを。
実家にも床や水周りの清掃等で何回かお願いした事があって、親父とも面識あっただけに驚いた様子。

とりあえずベッドや棚等の家具と服や靴、その他諸々は2t車1台とおっちゃんの仕事用のミニバンに載せると。
ついでに親父の和室の畳の張り替えも1日で終わらせるよう手配してもらい、全部込み15万。
思ってたより安いと感じたオカンは調子に乗り、80平米ちょいの実家の洗面所と浴室、和室を除くフローリングを張り替えたいと。

張り替えるのは費用が掛かりすぎるからと、フローリングの上に2.5mm厚のパネルを貼っていくやり方はどう?とおっちゃん。
オカンは友達のマンションが同じような間取りで、パネル貼り付けして100万以上掛かったと聞いていたようですが、おっちゃんがメジャーで大雑把な概算したら50万ちょいかな?と。

「もうちょっと落ち着いたらお願いする」と、親父が遺した金はガンガン遣う様子..................
今回、親父が遺した金など僅かなもので、うちは貧困家庭ながらも明日食う物に困るほどではないので「俺の分はオカンの足しにしいや」
弟も「BMWの担当からM4カブリオレが即納できるから買ってって電話掛かってきて、ポルシェが3年待ちやからそれまでの繋ぎにちょうどいいし買ったわ」と、ハナから親父の金などアテにもしておらず。

とりあえず親父が遺したもので一番の問題が「カメ」
自分が10歳頃の時、当時住んでた団地の近くの田んぼで拾ってきたカメ。
名前も「カメ」という雑な扱いながらどうにも捨てられずその後の引っ越しにも連れてきて、最終的には親父が世話をしていました。

親父が入院中、モルヒネを打ち始め、酸素マスク着用に切り替わって死期も近づいたのが周りにもわかった時、弟が面会で部屋に入った際
「カメを頼むぞ」と言われたとか。
弟は「何で俺に!アニキに言えよ!」と思ったらしいのですが、もはや遺言。
最低でも半月に1回は、東京からカメの水槽掃除に帰らざるを得ない呪縛に。
やり始めると凝るようで「カメに最適」とかいう濾過装置やフィルターが実家に届いてる様子。

そんなこんなで遺品整理の仕分けをすると、弟だけ帰省。
お宝でも出てこんかと思っていましたが、金目のものは商品券とビール券ばかり..................
弟は名刺と小銭入れを形見に。
自分は「部長職なんやからもうちょいいい時計したらいいのに」と思っていた、多分10万ぐらいの腕時計とタイピン。
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宮崎の親父姉に送るタイピンとカフスボタンのセット。
そして弟が「これそんな安物じゃないからアニキ持って帰り」と言ってたゴルフクラブのセット。
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スーツ類やコート等は、割と良い物を着てたものの、親父は168cmあるかないかで自分とは10cm違うので着れるものが無し。
弟もスーツはオーダー物しか着ないためパス。
工務店のおっちゃんが親父と同じような体型だったので、良さげなものは別の袋に入れとくから、持って帰って着れるのあったら貰ってと。

片付けしてたら写真の束が。
懐かしく思いながら、29歳ぐらいの時の親父が意外と男前でびっくり。
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「オカン姉が、アンタら2人とも女の子やったら父親に似るからよかったのに」とよく言ってたと。
今思えば、親父の姉は皆美人顔やったかなと。
イケメンから遠ざかったのはオカンの血が混じったせい..................
というか、4歳なるかならんかぐらいまで住んでたアパートの風呂..................
イヌ用じゃねぇの?みたいな狭さ..................
IMG_5921.jpg

あらかた仕分けが終わり晩メシ。
オカン、自分、弟の3人でメシ食べるなんて30年ぶりぐらい。
30年前ぐらいの時は、この状態でなぜか弟が「なにメンチ切ってんねん(なに睨んでんねん)」と言い出し兄弟喧嘩勃発。
当時弟はラグビー部に所属する怪力パワー型。
兄の尊厳を守るため弟に負けるわけにはいかず、もう手加減無しのバーサーカー状態。
「アンタら!外でやりなさい!」とオカンに言われて収まるみたいな。

けど自分も弟も、もういい歳したオッサン。
「俺、アニキに殺されるか思ったのは5回はあるけど、親父がキレてダイニングテーブル割った時は死んだと思った」
「団地の時なんか、キレたらブラウン管テレビや洗濯機投げつけてきよったよな、今の時代やったら懲役食らってるやろ」
と、今となっては笑い話。

まぁ、一時期は「死ね」と言ったほど恨んだ時期もあり、その時にオカンも親父と別居したりもありましたが、今となっては結果オーライというのか..................
親父が死んだ時、皆の前では堪えても、親父の遺体と2人きりになったら涙が止まらなかったのは「クソ親父がぁ!」と思う以上に、育ててくれた事への感謝があったのだと思います。

オカンにしても、洗い物や高い場所にある食器を取ろうとする時に
「こういうのはお父さんがやってくれてたんよね」と言い出し、メソメソモードに。

今回、親父の会社関係の人から「妻共々、部長にはお世話になったので、ぜひ線香を上げさせて下さい」みたいな連絡が続々と入っていて、今も毎日泣いてる親戚も。
人間の価値というのは、その人が亡くなった時にどれだけの人が悲しんでくれるかだと思いました。

自分がそうなった時、プーくすくすと小躍りされないような生き方をしていきたいなと。
少し嫁にも優しくしようと思った今日この頃です。


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