「もう当日までそっとしておいてね」状態で、今週末に親父の50日祭。
そう思っていたのも束の間、親父姉H子が同じく親父姉F子に
「ちゅんちゅん丸から来てくれって連絡あったから行ってくるわ」と、わざわざ言ってきたと。
言ってないがな..................これF子は娘某女史から説明されてるからいいものの、何も知らんかったら、うちが意図的にF子を無視したみたいに思われるがなと..................
F子は某女史に伝えたこちらの真意を汲んでくれてたものの、親父の若い頃の写真を見ては泣く事もある日々を送る中で、やっぱり昂ぶるものがあるのか
「何でH子は誘ってくれんと?」と言い出したとか..................
某女史が宥めに実家に行く事になったりで
「ごめん、H子おばちゃんに言うたんが失敗やったわ」と、何かこの件でまた飛び火。
と、ここで問題が。
「ごめん兄ちゃん、私、お母さんには何でも話してるよ、お父さんには、ちゅんちゅん丸には嫁がいるんやから、あんまり入り込むなって言われた」..................え?
某女史両親は、親父の意識があった最後の日、宮崎から大阪まで駆け付けてくれて、慕ってた姉の顔を見て心残り無く終わりを迎えたと思っているので、自分としては大きな恩を感じています。
2人が
「大阪に遊びに行きたい」と言ってはるようなので、その時は全てこちらで段取りし、恩返ししたいなと。
自分に対しては
「良い大人になった」みたいな印象のようですが、おっちゃんの発言を察するに、相当なとこまで話してんじゃね?と..................
「従兄妹として好意的」と
「女として好意的」では全然意味合い違うがな..................
某女史が母F子に、兄ちゃんが11月にツーリングに来ると言うと
「ちゅん君が嫌じゃなかったら、うちに泊まったらいいのに」北郷辺りに泊まるらしいと言うと
「お前も休み取って一緒に泊まってきたらいいやん」おばちゃん..................「抱いてほしいより、心から抱かれたいってこの気持ちわかる?女からの最上級の言葉や」と言われ
「お姫様抱っこでもしてほしいんか?」と答えると
「おめぇバカじゃねぇの!」と大非難が..................
そんな多々ある直球すぎな発言はまぁいいとして、突然、観客席に大暴投投げ込むなよと............
かなり痛い子かもしれませんが、もうそれでいいんじゃね?みたいな。
幼い頃から、帰省して会えば一緒に遊んで、何か泣いてたら手を差し伸べて。
それから何十年経ってもその頃と同じように、泣きながら電話掛かってきたら泣き止むまで話して。
疎遠の間の事は聞いてる範囲でしか知りませんが、いくつになろうが立ち位置や接し方、受ける印象は昔のまま。
と、良い話風に纏めていますが、何か提案すると
「変態すぎ...」とかよく言われるので、まだ心を開き切ってはいないようです。
何か訊かれて誤魔化すようなヘタレではありませんが、幼い頃に「鬼」と思ってた親父が敬語で喋る姿見て
「このおっちゃん、もっと怖ぇの?」的トラウマは年齢関係無く残っているものです。
浮気相手がドン臭くて旦那にバレて明らかに堅気ではない2人組からファミレスに呼び出され、山のような証拠書類を突き付けられ
「うっわ...これはひっくり返せねぇな」と思った時の方がまだマシじゃね?とさえ思います。
とりあえず予備知識として耳には入ったので、何も知らずに突然
「ワシら死んだら娘頼むぞ」とか言われ、お茶噴き出すほど動揺するのは回避できそうなのがまだ救い。
それは置いといて、親父が一番慕っていたF子には、憔悴し切っていたオカンを休ませるために
「暫くは家族だけで過ごしたい」という自分の考えを汲んでもらった事と、親父姉弟の次女を某女史が大阪から宮崎に引き取る件で、手続きやら何やら親父が助けていた事もあって、2人にだけには形見分けをと。
その際、F子に手紙を添えて送ろうと思いましたが、これがまた..................
ブログの記事を書く時は、出だしの一文さえ浮かべば後はザーっと最後まで書けるので、そんなに時間は掛かりませんが、手紙という形式で、約30年ぶりに再会した叔父叔母宛、しかも予備知識入り..................
「コイツ、やっぱりアホやったね」は避けたいところ。
ビジネス文書のように堅すぎず、ブログのように砕けすぎず、それでいて真意は伝わりやすくと、もう4日ほど修正と加筆の繰り返し。
文字書く事って、こんな難しかったっけ?みたいな。
この数ヵ月、世の中、何が起こるかわからないというのが身に染みた時間でした。
これからは、より
「退かぬ・媚びぬ・省みぬ」の聖帝モードで生きていきたいと思う今日この頃です。
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