週末は親父の50日祭。
もう50日?まだ50日?といった変な時間の感覚ですが、自分の中で1つ区切りがついた気がしています。
50日祭前日、某女史から、自分と同じように病気で子宮摘出した、親しい人の訃報が届いたと号泣の連絡が。
こういう時に、気の利いた言葉の一つでも掛けてやれればいいのですが、何を言っても慰めにもならないので、落ち着くまで話を聞くだけ。
家族葬だったようですが、亡くなった方の父親から通夜に来てやってほしいと言われたと。
「泣く事が亡くなった人れへの供養やから、思いっきり泣いといで」ぐらいしか言えませんでしたが、翌朝、気を紛らわせられたらと連絡し、喋りながら準備。
昼前にオカン姉を迎えに行き、実家へ。
現在、インターンと就活、国試に向けて
「雑音入れん方がいい」と嫁に言われ、義母宅に住んでいる娘と久しぶりに対面。
同じ学部の彼氏の方は、既に国立医大病院から内定貰い、親としては
「もう熨斗付けてお譲りします」といったところですが
「初めての彼氏と結婚とか何か勿体ない気もするけど、あんな優良物件ないぞって友達は言うし.........」とか、車で引き摺り回したくなるような発言を。
そして宮崎からY子に連れられてH子おばちゃん到着。
末っ子であった親父を溺愛するあまり、どうしても来たかったと。
こちらの予定キャンセルや変更、食事やホテルの手配等、5手間以上増やされましたが仕方ないかと。
うーん、まぁ8人姉弟(実際は7女2男の9人姉弟でしたが子供の頃に姉1人は亡くなっています)の次男で末っ子という立場上、6人の姉らからは溺愛され甘やかされていたのは想像に難くありませんが、
そのせいで唯我独尊パンチ食らって育ってきた自分には複雑な心境..................
さて、これまで神道だったくせに仏壇あるわ、線香立てるわ、お盆はするわで節操無い状態だったので、弟とも話し神式に統一しようと。
ただ、正しいやり方がわからないので、その旨、宮司さんに伝え、基本的なお供え物の並びなんかから教えてもらう事に。
とりあえず仏教と違うのは、法事というのは祭事という考えで、死者を偲ぶというよりは祝い事。
盆という概念は無く、彼岸を大切にすると。

宮司さんの準備も完了し、50日祭の祝詞が読み上げられていましたが、祝詞には催眠効果でもあるのかとにかく眠くて眠くて..................
隣に座ってた娘から
「パパ!」と足をつねられる始末。
お供え物を並べるところから1時間ほどで50日祭終了。
続けて仏壇から祖霊舎に魂を移す儀式。
50日祭の時もこちらも、玉串奉奠(たまぐしほうてん)という、仏教でいう焼香の際の二礼二拍手一礼は同じですが、拍手は無音ではなく音を鳴らすと。
ここで宮司さんが位牌を開封。
神式は位牌ではなく霊璽(れいじ)になりますが、位牌を開けると直近に亡くなった人から順に名前が書かれた木の札が。
「祀るのは50年ですが、それより前に亡くなった方の分はどうしますか?」と。
現状、位牌は位牌のまま先祖代々のものとして祖霊舎に入れ、親父のは霊璽で並べるとなっていたので、そのままでいいんじゃね?と思っていると..................
「あーもう、顔も知らんジジババの分なんかいらんちゃがね!捨ててくれ」とH子おばちゃん..................
いやいやいやいや、とりあえず収まってんならわざわざ捨てんでも。
以前、親父も
「こんな知らん奴らの紙なんかいらんわ」で、仏壇に入っていた、先祖代々の名前書かれた紙をゴミ箱ポーイしてましたが、このドライさは血筋なんか..................
魂移しの儀式も終了。
次は近くの不動尊へ移動して納骨。
かなり雨が降っていましたが、突然止んで蒸し暑く。
納骨式を行う場所はテントで覆われて濡れないようにしてくれていましたが、横から雨が入らないように側面まで覆う気遣いが。

これが暑い..................
ビニールハウスの中にいるかのように暑くて暑くて。
季節柄、喪服で汗かくのは嫌だったので汗止めの薬を飲んでいましたが、それでも額に滲むぐらい。
まずオカンがダウン。
うちの嫁と弟が介抱する名目で離脱し車でエアコン掛けて待機。
自分は先頭で読経を聞いていましたが、振り返るとテント内に残ってるのは
弟嫁だけで、皆逃亡。
「俺も涼んできていい?」とアイコンタクトを飛ばしますが
「あなた、喪主ですよ」と言わんばかりに、静かに首を横に振る弟嫁..................
30分ほど耐えて、何とか終了し会食の店へ。
足の悪い人間が多いので、和室のテーブル席で懐石料理を頼んでいましたが、こういう料理で苦手なのが
「焼き魚」鮎を焼いたのが出てきましたが、とにかく魚食べるのがヘタなので、人前で食べたくありません。
「もう無理」と判断すれば、頭から骨ごといくタイプです。
対面に座る娘は、小さい頃から義母に仕込まれ、魚は綺麗に食べるので、どうやって分解していくのか見ていると
「パパはいつも通り骨ごとかぶりついたらいいやん」見様見真似で頑張ってみたものの、ぐっちゃぐちゃ..................
お膳下げられる際、中居さんに見られるのが恥ずかしいので
「おまえの皿貸せ」と言うものの、まるで汚物でも見るかのようなため息混じりの視線を飛ばすだけの娘。
暫くすると
「ちゅんちゅん丸!サランラップ貰ってくれ!」とH子おばちゃん。
一瞬、意味がわかりませんでしたが、余った料理を持って帰りたいと。
え?.........こういう店で余り物って持って帰るもんなん?
弟の方を見ると、半笑いで聞こえないフリ。
サランラップくれと中居さんに頼むのが抵抗あるわと思っていると、お膳下げるのに中居さんが入室。
H子おばちゃんが直接頼むと
「容器代が50円掛かりますが.........」「50円!払う払う!」と財布から50円玉出して中居さんに渡そうとしていましたが、ちょっと待ってくれと。
コンビニやないんやから、料理代に計上してくれるがな..................
困惑してる中居さんの帯に50円玉ねじ込もうとしていましたが、オカンが
「じゃあこれは私が貰って、一緒に精算しときます」で、何とか収まった次第です。
店で解散となり、弟家族を実家に送りましたが、弟が
「アニキ、お疲れさんやったな」.........おめぇ、もうちょい助けろよと。
まぁ、H子おばちゃんに振り回された感じの50日祭でしたが、おばちゃんももう80歳。
某女史の母親であるF子おばちゃんにしても78歳。
従兄弟同士にしても皆いい歳になってきて、会うのは誰かの不幸事が殆ど。
11月の鹿児島ツーリングの話をして、宮崎で1泊する予定だと某女史がF子おばちゃんに言った際は
「おまえも一緒にホテルに泊まってきたらいいのに」と言われたようですが、ここ最近は
「うちに泊まりに来たらいいのに、田舎料理しか作れんけど、可愛い甥っ子やもんね」と言ってはるとか..................
年齢的に誰がいつどうなるかわからないような歳になっているので、顔見せて話し相手になるのもいいかなと思った今日この頃です。
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