汁江との一波乱を終えて暫く..................
改めて「言葉」で真意を伝え、また汲み取るというのは難しいものだと思いました。
というか、主語が「コソアド言葉」だったか「これ・あれ・それ・どれ」のような指示代名詞な上に方言もキツいので、聞いてる側からすると意味不明な事が多々。
「あの時のあれ美味しかったでしょ」と、常に暗号のように話してくる
「おまえ、うちのオカンか?」みたいな。
以前はこちらがこんこんと説教垂れると、反論の余地無しの
「あーうーあーうー」と、ひたすら嵐が過ぎ去るのを待つ、親から叱られてる子供のようだったのが、最近は
「ブチ切れる」事を覚えたようで..................
ただ、その
「反撃」の落とし所の目算が甘く
「ガチャ切りしたくせに絶対掛け直してくるから、携帯置いて買い物行こ」は大きな間違い。
本人は
「また掛け直してきたら許してやるか」と思っていたかと思いますが、少しナメすぎです。
出ないなら、行って家の前でクラクション鳴らすだけです。
大阪から宮崎まで約700km、飛ばせば6時間。
車でこれぐらいの距離なら、いきなり出発でもなんて事はありません。
LINEの既読からの返信が無い事で
「やべぇ、ホントに来るよこの人.........」となって慌てて電話掛けてきましたが、多分、高速乗ってしまっていれば、電話も出ないしLINEも未読のまま
「震えて待っとけ」でした。
後日
「別れるとかいう感覚がない、付き合うとか彼女とか彼氏とかそんな感じで考える事がない、私が離れられんのよ」こんな風に言われるとそれ以上は何も言えず、最終的に
「勝った」ので、これで良しと。
男なんて単純なものです。
という事で誕生日。
約30年ぶりに再会してからお互いの状況を話す時間は多く、その間、苦労重ねてる事も知らず..................
仲良かった従兄妹として何もしてあげられなかったところや、こういった関係になった事もあって、現状、コロナ後遺症のステロイド治療で休職期間を過ごす中
「自分を雑に扱ったらあかんよ」と言い続けてきたので、必要そうなものはネットで買って送っていました。
そういうのとは別に、誕生日は1年に1回の事なので少し前からあれこれ物色。
30代の頃
「誕生日?ビックリマンシール(悪魔)やろか?」と言って泣かれた事もありますが
「コイツといるとこ、知り合いに見られたくねぇ」と思う相手にはそんなもんです。
話の中で好みのブランドや嗜好品は大体わかっていたので、暑い時期が終わる頃には使い切るぐらいのL'OCCITANEのシトラスヴァーベナのヘアケアバリュアブルとフローズンシャワージェル、ポール・スミスのキーケースを。
キーケースには
「Chinpo」とでも刻印すれば、嬉ション垂らして喜ぶのは目に見えてわかりますが、無難に本人の名前を。
ギフトBOXだのメッセージカードだの選択肢が多く、心折れかけるも発注完了。

コロナの濃厚接触絡みで実家に戻ってると思っていたので、送り先は実家へ。
安直な内容ではないにせよ、メッセージカードとか叔母に見られたら恥ずかしいから、当日は必ず実家で待機しといてと。
が、開封してテンション上がったのか、隣で開封待ちしてた叔母に全部見せたと..................
「おまえのタントにこのキーケースは勿体ないから、次は車買ってくれってちゅんちゅん丸に言うちょけ」と、おっちゃん..................
そんな感じやったと電話で伝えてきましたが、叔母は近くにいないと思って、結構あっけらかんと卑猥な事から純粋な気持ちまで喋って切った後、汁江が話した内容はすぐ近くで聞いてたと..................
そこから普段は絶対に汁江の運転する車には乗らない叔母が
「ちょっとコンビニまで乗せろ」と言い出したようで、説教のような助言のような
「上手くやれ」みたいな事を言われたと。
次に会う時、どんな顔して会えばいいのか..................
「いやぁ、テンション上がりすぎて変な汗出てパンツまでびっちゃびちゃやが、お返しにこれ脱いで送ろっか?」.........10代20代ならまだしも、もうバイオテロに近いようなもんは勘弁してくれと思いながら、本人喜んでくれたからまぁいいかと。
賢しいのかお花畑なのかよくわかりませんが、まぁそのギャップもいいんじゃないかと思う今日この頃です。
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