宮崎へ 1/2

さて、先日、宮崎旅行という名目での「汁江からの強制召喚」へ。
出発当日、早朝から4件の依頼をこなし神戸港へ。
乗船手続きで「事業用車輌はこのプランは利用できない」云々言われ
事前に「あ」ナンバーのナンプレ番号も入力した上で、そっちから振込み用紙送ってきたんやろがと、いきなり出鼻くじかれかけましたが何とかセーフ。
部屋は2段ベッドのドミトリーを選択しましたが、とりあえず「狭っ!」
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以前、阿蘇ツーリングの際にも2段ベッドタイプにし、その時は何人かで行ったからか荷物はベッドの横に置いたりしましたが、今回は1人。
着替え等入れた手提げカバンとボディバッグを持ち込んでベッド上に置くと、身長カツカツ..................
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そして太平洋回りの1人船旅最大の問題が「携帯殆ど圏外」
これはヒマ。
船内WiFiも試したものの「電波が不安定で~」の表示ばかりで、ゲームもできんがな..................
狭いし+2,000円出して個室にはしとけばよかったと。
という虚無の心境で定刻通り宮崎港に到着。
ここから汁江との待ち合わせ場所であるJR宮崎駅へ移動。
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少し早く着いたのでロータリーに停めて待っていると、黒塗りのハイヤー仕様にしていましたが、緑ナンバーの大阪ナンバーが珍しかったのか、タクシープールの運転手が何かこちらを指さして..................
というか汁江が乗ってるはずの特急が着いて暫く経ってるのに、降りてこず。
携帯鳴らすも出ず..................
朝の4時頃に「楽しみすぎて寝れんかった」とLINEが入っていたのを思い出し
「コイツ、寝過ごしたんじゃね?」と、次の特急停車駅を検索し、もう1度携帯鳴らすと「おしっこ行ってた」
来るまでの間にタクシープールの個タクのおっちゃんに話し掛けられ、仕事じゃなくて遊びで来たんですわみたいな。
そして汁江。
5月下旬に親父が危篤の際に病院まで駆け付けてくれた時は、とにかく急ぎの出発でスッピン。
その後、コロナ後遺症が再発し衰弱、今のような関係になったのを経てステロイドの副作用が酷く、ビデオ通話や送られてくる写真は髪の艶も無く疲弊しきった表情ばかり。
そんな状態で3ヵ月、長時間同じ姿勢でいられないのと、休職期間中に美容院に行く後ろめたさもあって髪の毛も放置状態。
母親にいつも「おまえは小汚くなった」と言われていたようですが「女は付いた男で変わる、この旦那なら自分に気遣うとかどうでもいい」の返事。
そして先日「ちゅん君来るんやから美容院ぐらい行ってこい!」
「兄ちゃんと見合いする訳じゃねぇんよ」と言いつつも美容院へ。
これまで美容院へ行かなかった理由も知っていた旦那から
「兄ちゃんが来るから美容院行きたかったんやろ?俺と出掛ける時は何も気にせんのにね」と言われたと..................
もうかなりアウトな身の振り方だとは思いますが、やや挙動不審気味に近寄り抱きついてきた汁江は、髪の毛もメイクもバチバチに決めて「どちらさんですか?」みたいな。
「今日はピノ半分食べた」な食欲不振が続き、身長マイナス120ぐらいまで体重落ちてた頃を考えると「体重計とか乗りたくねぇ」と言うぐらい少しは食欲も戻り、元気そうな姿に。
北郷へ。
今回「兄ちゃんが運転する車に乗ってみたいから車で来て」という汁江からの要望。
かなり車酔いするタイプらしく、父親や旦那の運転でゲロる事もしばしばとか。
要は「運転を生業とする人間が、まさか私をゲロらせるレベルじゃないでしょうね」とでも言いたいのか..............
今は高速道路?無料バイパス?みたいなのが出来ていて、日南北郷ICで下りるとばあちゃん家までは数km。
見覚えのあるトンネルを抜け暫く進むと、思い出の「スーパー川口」が。
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小学生になるかどうかぐらいの時に、誰かに野菜だったか買ってくるよう言われ、女の子の従兄妹と行った場所。
ビーチサンダルで歩く道のりは遠く痛く、加えて連れてる女の子が歩くのに疲れて文句垂れ.....なんて話したら、その子が汁江..................
「俺な、あの時「俺がおんぶしたるから泣くなよ」って、おんぶして帰ってんで」と大ウソ刷り込もうとするも
「兄ちゃんと2つしか変わらんのに、そんな子供の頃におんぶして歩けるわけねぇだろ」と一蹴..................
車で走るとばあちゃん家まで数秒でしたが、当時は遠く感じたものです。
いつもばあちゃん家で集まる時に、車で来る親戚らが停めてた農協?か何かの土地に車を駐車。
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道路挟んで向かいが、ばあちゃん家だった草ぼうぼうの空き地。
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汁江が「こうやって見ると、あんな狭い家に大勢の親戚が集まって、よく床が抜けんかったよね」
土間の台所に薪を燃やして入る五右衛門風呂..................
祖父母はもちろん叔父叔母らも半分は亡くなって、従兄弟連中も生きているのかさえわからないのがチラホラで、昔、皆が元気だった頃が懐かしく思い返され、その空き地を見ながら何とも言えない気分に。
少し歩いて坂元球場へ。
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小さい頃はよく遊んだ所でしたが、というより、他には虫取りぐらいしか遊びの選択肢が無かったのですが..................
今見ると、こんなに狭かったっけ?みたいな。
一度たりとも野球の試合してるのを見た事はありませんでしたが、トラクターみたいなやつでグランド整備してる最中だったので、まだ現役で使われてる球場のようでした。
墓へ行く途中、ばあちゃん家の向かいにあった散髪屋に挨拶に行くかどうかの話をしましたが、汁江が7年ぐらい前に墓参りに行き、車を停めさせてもらおうと散髪屋に声掛けたところ、名乗る前に「ああ、F子さんの娘さんじゃね」と言われたと。
となると自分は親父似のようなので「Kさんの息子じゃね」と言われる可能性も高く、そうなるとばあちゃん家跡地の前でベタベタヨタヨタしてるのは見られているので「どうなってんの?あれ?」となりかねずスルー。
そして墓は6年前に親父が墓じまいしたので墓石等無い跡地だけですが、徒歩で向かう道中、墓地が見えてくると「お墓あるね」と意味不明な供述を繰り返していた汁江は「墓じまい=霊園自体を取り壊し」と思っていたという..................
「こっちや」とズンズン進んでいたのに、遠回りしていた事に気づいて文句言いながら歩く汁江。
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北郷のこの景色、親父が死んで、それまで疎遠だった宮崎の親戚らとやり取りが再開し、妙に懐かしくて、死ぬまでにはもう一度見たくてたまらなかったものなので、来られてよかったです。
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次に汁江母から「北郷行くなら飫肥天(おびてん)買ってきて」と言われていたので、飫肥城跡へ。
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途中の蜂の巣公園?でキャンプしたよねとか言われましたが記憶に無く..................
飫肥天は「さつま揚げ」みたいな感じのもう少し甘いもので、ごぼうが入ったものや玉子が入ったもの等種類がいくつかあり「うーん」とチョイスに悩んでは「どれにしよ?」となかなか先に進まない汁江なので「とりあえず3つずつ下さい」と地引き網みたいな買い方に..................
そこから海岸沿いへ。
それまで暫く乗っていて「酔ってへんの?」と訊くと
「酔い止め飲んでないのに全然酔ってない、兄ちゃん運転上手いわ」
こう言われるのは素直に嬉しいところです。
日南海岸を見ながら北上していきますが、この海岸線も高速道路が無かった昔は、フェリーターミナルのあった日向や宮崎空港へ送ってもらう時に通っていた道で、思い出話をしながら。
サンメッセとかいう所へ寄るつもりでしたが、気温が高く施設内は割と歩く必要があるようなのでパス。
「歩くの面倒くさい」「体調気遣ってるんよ」で綺麗にまとめようとしましたが「兄ちゃん、歩くの嫌いやもんね、私も嫌やからやめとこ」
道の駅 フェニックスへ。
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以前から「ここに海老ソフトクリームがあって、私はエビカニアレルギーやから無理やけど、あったら兄ちゃん食べて」と言っていましたが、ソフトクリーム屋のお姉ちゃんに訊くと4年前にやめたとか。
GPZの900が停まっていて「兄ちゃん、あれもNinjaって書いてるけど、兄ちゃんのやつと違うやろ?」
あれこれ長々と説明しましたが
「うん、わからん」
..................
さてここから次は温泉行く予定が..................
「兄ちゃん、もうホテル行こうや」
18時に実家に到着するつもりで段取りしていて、高鍋町辺りの温泉寄って延岡へ移動の予定でしたが、もう先に延岡へ向かって、そこでゆっくりしようと。
叔母や旦那から「家族湯でも行ってきたらいいやん」と言われていたようなので、一応、何訊かれても答えられるようにシミュレーションしときやと伝えるものの
「私、実家着いたらすぐビール飲んで酔っ払って有耶無耶にするから、任しとき」
...........................
暫くして実家到着。
出迎えてくれる叔父叔母。
もうおばちゃんらの娘は最後まで面倒みるよと思っているので、罪悪感などありません。
「こんなん食べきられへんで」な料理が用意され、汁江が「お母さん、目の周りのラメが多くね?」と指摘するように、叔母もいつもと違う様子..................
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少しして汁江弟の嫁が到着。
初対面だったので軽く挨拶。
「これ、昔は汁江弟をずっと可愛がってたんですけど、ばあちゃんの葬式以来30年近く何もしてなかったんで、上の子はもう働いてるって聞いて失礼かと思いましたが、子供3人に渡してもらえませんか?」
で用意してた小遣いを渡し、受け取ってもらえたので、自分の中で少し引っ掛かっていたものが無くなった感じでした。
というか小さい頃に「あのおっちゃんはケチや」と感じた事から、お金は遣うべきところで遣わないのはダメだと思っています。
特に汁江弟の3人娘の一番上の子は、汁江が今の旦那と入籍する際の顔合わせで
「何で汁江姉ちゃんに指輪も買ってあげないんですか!」と迫ったと聞いていて、その後も買う事は無かった事から旦那の事が今でも嫌いな様子..................
こんな話を聞いていれば、まだ会った事はなくとも先に渡すものわたしておけば悪い印象持たれる事はないだろうとも。
そんなこんなで今回、最も会いたかった汁江旦那到着。
汁江から「フツー、自分の嫁が体調崩して物も食べられない時に、食べれそうなものを探して送ってくれたりしたらお礼の一言ぐらい言うよね、そこで人としての器を見せてもらうわ、絶対言わんやろうけどね」と言われていましたが..................
交わした言葉は、目も合わせない「こんばんは」のみ..................
実際会ってみると言葉遣いや所作で「私の近くを歩いてほしくない」と言うそのままな印象。
パチ屋かなんかの話は叔母とするものの、叔母から話を振られたので、昔はエヴァでハワイ旅行ぐらい行けたのに、ある時から出玉が削られるようになって止めましたみたいに言うと、旦那沈黙。
叔父がニュースの話題を振ってきたり、叔母がスポーツの話題を振ってきたりでしたが、それに対して少し掘り下げて返し、会話のキャッチボールが成り立つと旦那は空気。
缶ビール5本ほど開けたところで酔っ払ってる汁江。
叔母から「どこの温泉行ってきた?」と訊かれるとしどろもどろに「私、横乗ってただけやからわからん」..................
いやいやいやいや、道のりがわからんでも入った施設の名前ぐらいわからなおかしいがな..................
コイツはダメだと思い「高鍋のめいりんてとこ行きました」と答え、強引に次の話題へ。
縁側でたばこ吸ってると汁江がやって来て「あのクソ旦那が早く帰れや」
「わかるやろ?わかるやろ?穏便に離婚したいから出来るだけツッコまれんよう家事やらご飯をしてるけど、もう無理」等とブツクサ文句を..................
「会ったらこうなるってわかってたのに.........ホントに明日帰るの?一緒に連れて帰ってや」
一旦お開きとなり「花火したい」と言うからネットで注文し持っていって、汁江はロウソクやら用意していたので
「じゃあ花火しに行こか?」と言うと
「.........兄ちゃん、ホテル行かへん?」
は ぁ ?ま た で す か ?
「11月も来るんやろ?花火はその時にしようや」
何が悲しくて寒い海辺で花火やねん.........というか湿気って使われへんやろ..................
到着しテンション上がりすぎたのか、フルパワーで握られ動かされ可愛い息子は出血レベルの傷ものに..................
おまえなぁ
暫く使いもんにならんがな..................
ヒリつく下半身に耐えながら夜中3時に実家へ到着。
叔母が居間に布団を敷いてくれていましたが
「一緒に寝るに決まってるじゃろが」で汁江は別の部屋から枕を..................
叔父叔母の方が早起きやのに、これ見られてどう言い訳すんの?
「もう後で怒られてもいい、私に任しときな」
温泉話もそうですが、任せて上手くいった試しがありません。
7時半ぐらいに重みで起床。
関節に頭蓋骨を直置きすんなよと..................
まだ寝てるので起こさないよう腕を抜き8時。
おかしい..................
この時間なら叔父叔母は絶対起きて、居間と引き戸続きの隣の部屋でテレビ観てるはずが静寂..................
こういうのがコワい..................
汁江も起きて動き出すと叔父叔母らも動き始めるような感じで、何も訊かれないのが余計に何とも表現し難い感覚。
そして暫く団欒の後、汁江弟が夜勤明けで到着。
汁江同様、約30年ぶりの再会。
「兄ちゃん、変わっとらんの」と言う汁江弟と最後に会ったのが、汁江弟が中学1年生の時。
自分の4つ下なので、当時の幼い面影しかなかった為、めっちゃオッサンになってるがなと。
学生服の話は覚えてなかったものの、最後に会ったばあちゃんの葬式の時
「兄ちゃんが持ってた財布がカッコいいって言ったら、これは気に入って使ってるからあげられへんけど、これで何か買いって5,000円くれたんを今でも覚えてるわ」
そんな記憶は全くありませんでしたが、そう言われて昔の自分を褒めまくりでした。
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