妙な感覚

宮崎旅行から暫く..................

北郷のばあちゃん家の跡地とそこから見た景色は、懐かしくて少し寂しくて、ノスタルジックに浸るにはじゅうぶんすぎるほどでした。

球場まで汁江と手を繋いで歩きましたが、40年ぐらい前もこうやって歩いてた気がして、幼い日に戻ったような感覚も。
10年後にまた来ようと話しましたが、親父側の男は皆短命なので自分も例外無くとは思うところも。
まぁ、周りがどんどん亡くなっていく中、長生きして残されるより、誰かに看取ってもらえるうちにというのがホンネ。

と、少し気分が沈むような感覚も心地良いなと思いながら、基本的にこの「人前で女と手を繋ぐ」というのがスゴく嫌。
若い頃は幼稚園児のお散歩、年取ると介護されてるみたいで、周囲の視線が小っ恥ずかしいというか.........腕を組まれてしなだれ掛かられる方が「大人のカップル」な感じがしていいので、誰であろうと手を繋ぐのはこれまで悉く拒否してきたところがあります。

北郷に着いてから離れるまで、現地で見掛けたのはカブに乗った郵便配達の人を1人だけというほど、人の気配が無かったという事を差し引いても、従兄妹というのが前提だと抵抗はありませんでした。

一区切りついて「ここ行きたい」と言ってきたのが..................
冬にルミナリエ神戸、グリナリウム淡路島
夏にフロリックシーアドベンチャーパーク淡路島
秋に沖縄


「淡路島ってどこけ?」とか言ってるくせに要望はガンガンと..................

ルミナリエ神戸は誰と行ったか忘れましたが、確かクッソ寒い中、点灯の時間までだったかひたすら列に並んで待たされ、その時点で「二度と来るか」と思った記憶。
男全般か自分だけなのかわかりませんが、夜景は好きでもイルミネーションには全く興味が無く、連れの女が「綺麗~」とか言ってるのを「そうやね」と相槌打ったりはしても、内心「寒いからはよ帰ろうや」
今はどうなってるのか知りませんが、ゴール地点の公園?みたいな広場に辿り着いた時は「やっと帰れる」と安堵が先に立ったのだけは覚えています。

グリナリウム淡路島は、数年前にできた関西初の吊り下げタイプのイチゴ狩りができるとかいう場所。
イチゴ狩りは確か娘が小さい頃に近所の人らと行った事がありますが、丘を登ってハァハァ言いながら到着したら、紙コップに入った水を渡され「喉渇いてたから気が利くなぁ」と思ってゴクゴク飲み干すと
「それ、取ったイチゴ洗う水なんですが.........」と、渡してきた係の人に言われ「先に言えよボケ」な記憶。
というか、男がキャッキャ嬉しそうにイチゴ狩るもんなんか?と疑問です。

フロリックシーアドベンチャーパーク淡路島も最近できた海の上のアスレチック?みたいな施設のようです。
これは行った事がありませんが、多分、子供や若者が楽しむ施設であって、水着から「ひじき」みたいなハミ毛も気にしないBBAがはしゃいだところで、事案にしかならない気もします。

沖縄本島は行った事がないので行きたいのですが、まぁ、こういうのは「何処へ行く」より「誰と行く」なんだと思います。
「ガ〇トでも奢りたくねぇわ」と思う子に限って「〇〇ホテルのビュッフェが~」
大体「しま〇ら」フルセットの割に「ヴィトンのバッグが~」みたいなタイプなので、こういう子とは何処へ行こうが楽しくありません。

そして汁江。
これまでと大きく違うのは「従兄妹」という前提があるところ。
自分の女でも他人だと、グチグチギャーギャー言われるとウンザリで「あ、はい、もういいです」で閉店ガラガラですが、これで終わらず「宥める」というのが入ります。
「なぁ、ちゃんと話聞いてや」と前置きしてから諭す方法を取るなんて、これまでありませんでした。
加えて「そんなん面白くねぇよ」と思うより前に「行きたいところがあるなら連れてってあげよう」「してほしい事があるならしてあげよう」みたいな、3歳の姪っ子に対する感覚に近いものがある気がします。

特に学生時代はメシ食いながら弟がテレビ観て笑ってるのがイラっとして「おまえ、なに笑ってんねん」からのギャラクティカ・マグナムみたいな殺伐とした兄弟仲だったので「妹いたら何でもしてあげんのに」みたいに思う事は多々ありました。

愛情とは別に「情」というのも感じるところが変な感じはしますが「おめぇ、妹いたら確実にヤッてんだろ」というツッコミは無しでお願いします。

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