先日、とある事情で病院へ。
内容的に
「泌尿器科」..................
事の成り行きは、普段はユウキ君からプレゼントされたplantronics製のハンズフリーイヤホンを使っていますが、充電中だった為サブのものを使っていました。
通話の相手が
「全然違う」というほどplantronics製は周りの音を抑えて、音声だけがクリアに聞こえるようですが、サブ機はそうでもなく周りの音まで拾いまくり。
もう遠慮もクソもないので、小便しながら汁江と通話していると..................
「兄ちゃん、そのオシッコの出方、前立腺肥大じゃね?病院行ってきな」..................は?
それってよく聞くけど、年寄りの病気なんやないの?
オシッコの出方なんてこんなもんやない?
40歳超えて、若い時よりも尿意をもよおしてから我慢の限界までの時間は短くなった気はするものの、別に残尿感とか無いし..................
そんな事言われて
「ナニ言ってんだ、おまえ」と一蹴できないのが汁江のキャリア。
「私、この仕事25年やってるんよ、その辺のペーペー看護師とは腕が違うわ」と、普段の
「好きすぎて脳ミソとろけるわ~」みたいなアホな子とは違い、仕事に関してはプライドも意識も高く、うちの弟が顕微鏡的多発血管炎という100万人に18人ぐらいの難病の疑いが出た時、LINEで症状送っただけで
「それって顕微鏡的多発血管炎やないかな」と言い当てたのを思い出し、さっさと病院へ。
初めて行く病院でしたが、とりあえず受付から看護師さんまで、皆若い女の子..................
勘弁してくれと思いながら診察室へ入ると、まず看護師さんに問診。
「いやぁ、看護師やってる従兄妹と小便しながら電話してたら病院行けって言われて~」おまえ、電話しながらオシッコすんの?みたいな半笑い。
入ってきた医者に看護師が伝えると、医者もやや半笑いで
「珍しいケースですね」え?..................
親しい間柄なら
「便器貫通しそうな勢いの、俺の小便の音を聞け」って、世間の人は言わへんの?
一緒に並んで歩いていても、屁が出そうになれば少し前に出て、ミが出ない程度に調整しながら相手に屁を振り撒くのがエチケットやないの?
性癖と呼ぶまでもない、極々当たり前だと思っていた常識が覆された気分でした..................
ベッドに寝かされ、若い看護師さんにチ〇コギリギリまでパンツ下ろされ暫く放置。
「寒くないですか?」と訊かれるのが、何かジイさん扱いされてるような屈辱感..................
そしてエコー検査。
エコー検査も初体験でしたが、ふわっと機械を当てるのかと思ったら、何か恨みでもあんのか?と思うほど
「痛ててて」ぐらい、腹の左右と膀胱の辺りをグリグリされ..................
結果、腎臓に石なのか何かわからないほど小さいものが映っていましたが、今すぐどうこうというものではなし。
腎臓、膀胱、前立腺に癌は見られず、膀胱に溜まってる尿の量や前立腺の大きさも異常無し。
前立腺肥大ではなく
「慢性前立腺炎」だと。
職業訊かれ、個タクだと答えると
「長時間運転する仕事だと仕方ないですね、料理人が鍋振って腱鞘炎になるような職業病みたいなもんです」と、セルニルトンという薬を処方され終了。
病院に行った事で、正直、考えさせられました。
親父が死んだ時、まだ出発もしていなかったにも関わらず
「三重県に旅行行く予定やから」と葬式に参列しない旨を言った義母をそのまま旅行に行かせ..................
その事を
「残念やった」と伝えると
「そんなんお母さんの勝手やん」みたいな嫁からの返事。
その後、近所の不動尊へ納骨が決まった時の
「あそこは私も考えてたのに、お義父さん入るなら別のとこ探さなあかんやん」この言葉は今までにないほど押し潰された感がありました。
嫁が親父を嫌っているのは知っていますが
「それを今の俺に言う?」みたいな。
親父とは、決して仲良い親子とは言えなかったと思いますが、失って初めて、これまで生きてきた中で感じた事がないほど大きな喪失感がありました。
それでも、取り乱すだけのオカンや、ただ泣くだけの弟を前に
「長男として」と、ただただ平静を装って後の段取りをこなしていくだけでした。
そういったものを一番身近で見てたはずの嫁にはどう映ったのかわかりませんが
「数日も経ってない今、そんな事は聞きたくない」と思うと共に
「自分や自分の家側に何かあった時、嫁に頼る事はしない」というのが素直な感情でした。
結婚当初から
「アンタに何かあっても介護とか無理やから」と嫁に言われ続けていましたが、冗談ではなく本意だったと感じてしまいました。
そんなところに汁江。
親父が危篤状態だと知らせると、宮崎から駆け付けてくれて約30年ぶりに再会。
2日病院で顔合わせただけでその後は電話やLINEでのやり取り。
その少ない接点にも関わらず
「兄ちゃん、泣きたい時は泣いたらいいんよ、私が聞いたげるから」とすぐに見透かされ..................
随分救われた気がして
「俺が一番しんどい時に助けてくれたんやから、汁江がもうどうにもならんて時には必ず助けるよ」と言っていました。
親父の姉を汁江が引き取り、看取るまでの約10年、何かあるたびに
「おじちゃん、どうしていいかわからん」と親父に電話しては宥められて力になってくれたと。
「直接おじちゃんにお礼も言えないまま亡くした事を後悔してる。
だから、おじちゃんが大切にしてきたものを私も大切に思うから、おばちゃんに少しずつ恩返ししたい」これは自分も同じように思うところです。
嫁の祖父の体が悪くなった時、乗り降りしやすい車に買い替え、身障者手帳を貰う手続きをして通院も付き添っていました。
嫁側の人間も大切にと思っていたので、嫁や義母から感謝される事もありませんでしたが、別にいいやと。
そして汁江にも同じく。
離婚に際して
「親から勘当されてもいい」と言っていましたが、それはアカンよと。
親父を亡くしてわかりましたが、やっぱり親は親。
まして、自分と違ってこれまで献身的に親と接してきたのに、その関係は壊してほしくない。
後悔するのはつまらんから、汁江にとってよりベターな方法を考えるから。
なんて事を話しているうちに、何となく、亡くなって搬送待ちの病室で親父と2人きりになった時の事を思い出し、涙が出ましたが
「私のせいで兄ちゃん泣かせてごめんなさい」と、なぜか汁江号泣..................
汁江の大切な人も大切にしたいと思って話した事が、変な方向に行ってしまった事もありましたが、人間関係なんてそんなもんだと思います。
「兄ちゃんに何かあって嫁が何もしないなら、私が全て面倒見ますから、あなたは何もしなくていいですって嫁に言うよ。
どれだけ遠回りしても、最後に兄ちゃんを自分のものにできたらいいから、長生きしてね」これまでの生き方聞いてたら、多分ではなく本心から言っているのはわかります。
「兄ちゃんのLINEの漢字が読まれへん」とか、常用漢字も読めないアホさはありますが、そんな事はどうでもよくて、こと対人関係においての思いやりや行動は
「こんな女に出会った事ないわ」と感じるほど。
年齢1桁の頃から知ってたのに、何か変な感じもありますが
「聞く耳持てよ、このボケ」と思って、宮崎まで車走らせたのが全てかと思います。
元々、親父の家系は男は癌で短命。
「腰が痛い」と言ってから約1ヵ月で肺癌で亡くなった親父を目の当たりにして、自分もそれに漏れずと感じたところもあり、もう、娘が一人立ちすれば、微妙な夫婦間を取り繕って生きていくより、残る余生は好きに生きたいと思うようになったのもホンネです。
何だか色々考えさせられた一日でした。
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