鹿児島ツーリング前の宮崎にて

「鹿児島県 佐多岬ツーリング」の2日前。
大分港から宮崎へ向かった先はゆうこの実家である叔母宅。

08:00過ぎに到着。
位置情報共有アプリでこちらの移動具合は把握されているので、外に出て出迎えてくれるも、数日前は「兄ちゃーん!って抱きつくわ」と欧米モードな発言しながら、親の前ではヘタレたのか「おはよう」とモジモジ..................

縁側で叔父叔母に挨拶すると、叔母が「お風呂沸いてるよ」で風呂へ。

熱っつ!!!

これ50℃ぐらいないか?
この家はこれが当たり前なんか?
だとしたら、この後に誰か入って「ぬるいわ」となっても迷惑だろうから、水混ぜるのも気が引けるし..................
色々考えながら足から浸かろうとするも、足首までも浸けれないほど熱く、もうシャワーだけでいいやと。

脱衣所に上がったタイミングを見計らっていたのか、ガラガラとドアが開き
「兄ちゃん、洗っとくから洗濯物出しな」

「そんなん言いながら、パンツパクってナイトキャップにでもするんやろ?」

「あっ、それいいかも」みたいに目を輝かせるのがコワいところ..................

朝食済ませ、前々から言っていた「タントの点検」を。
ウォッシャー液が空やね
エンジンオイル入れすぎやね
バッテリー端子が腐食しかけてるね

そして..................
タイヤ、ビシビシにヒビ割れしてるがな..................
セリアル見ると2019.........4年半前ぐらいのタイヤ。
自宅は海のすぐそばというのもあって劣化しやすいのか、ルーフも塗装が剥げてる状態。

これ、俺が運転すんの?が正直な感想ながら
「兄ちゃんを横に乗せて運転するとか、教習所の先生乗せるより嫌や」と..................
「俺、土地勘無いから良い所とか知らんけど、行きたいとこある?なぁなぁ、どこ行きたい?」

「.........ホテル」

「いや、そういうんじゃなくて観光地とか..................」

叔母は「高千穂行ってきたら?」と言っていましたが、このタントではちょっと..................
「私、自分で運転してて酔う時あるからね」と言うほど車酔いが激しいらしいので、ゲロられるぐらいどうともありませんが、後の掃除が大変。

仕方ない、ああ仕方ない、そこまで言うなら、という事でご所望通りに。
「そういうとこホントいやらしい、言わせよう言わせようってとこよ」等と意味不明な供述を繰り返しながらも、夕方までマッタリと。

さて今回は「兄ちゃんになら何されてもいい」との言質は取ったので、己の欲望に忠実に、容赦などありません。
「Gillette 5枚刃」を持参。
あーーーだの、やーーーだの喚かれようが、退かぬ・媚びぬ・省みぬで小一時間。
途中、やや面倒くさくなってきて、片側だけの阿修羅男爵状態でいいんじゃね?とも思いましたが、頑張って芝刈り完遂。
(このブログを書いていると「チクチク痛いんやけど、やりっぱで帰りやがって、メンテしに来い」との苦情が)

そんな紳士淑女の社交会のような時間を過ごし、叔母宅へ。

「やっぱり写真で見るより大きいわ」と言いながら14Rに跨りはる。
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DSC02449.jpg

夕食はおでんに寿司に刺身にフライ物やら、何やかんやが所狭しと。
ゆうこの弟家族も来てくれると聞いていたので、その子らの小遣いだけは用意して。
弟もその嫁も、わざわざ時間作って会いに来てくれるのはありがたいものですが、ゆうこ弟が「兄ちゃん、これ大阪には無いやろ?」と、スナック菓子の「カール チーズ味」をドヤ顔で買ってきて、何の事だかよくわからず。

「いや、大阪のどこでも売ってるで」

.........今は役職も付いた3人の子持ちないい大人が、大阪は東日本だと思っていたようで、抜けてるとこは昔から変わんないなと思ったり。

弟嫁も酒が入ってるからかよく喋り「USJと、かに道楽行きたい」と言うので「その時は案内しますよ」と返事すると
「私、USJ行った事ないんやけど。ねぇねぇ、行った事ないんやけど!宮崎まで迎えに来て連れてってよ」
「お義姉さん、泊まるとこも案内も確保したし、行きましょう」みたいな話に..................

そんな中、佐多岬ツーリングで途中合流するmashさんへ電話。
タントのタイヤが気になったので、車関連の仕事をしてはる事もあって宮崎のタイヤ屋を教えてもらう事に。
「ビーライン」というとこが良さげだったので、翌朝問い合わせしてみようと。

翌朝、タイヤ屋へ電話しサイズを伝え金額を確認。
バイクでも車でも、金額訊いても教えてくれない店など「ここまで来ながら、高いからってわざわざ他店に行くなんて面倒くさいでしょ?」
みたいな姑息さを感じるので電話ガチャ切りですが、単価と工賃込みの金額まで丁寧な対応。

通勤や買い物の普段使いでしかないので、ハイグリップさもコンフォートさもいりませんが、とりあえずは国産のグッドイヤーで。

店は叔母宅から10分ほどの場所。
11時に予約を入れ、その日は暑かったので15分前ぐらいにタントのエンジン掛けて車内を冷やしておくという紳士さを見せたのに、タラタラ用意してゆうこ出てきたのが11時..................
前日も感じましたが、軽自動車とはいえ乗り心地が悪いというか、タイヤが硬くて路面の細かい凹凸まで拾うような不快な振動が。

ビーラインでは+3,000円で、2年間はどのケースでも「パンク」したら4本とも新品に交換という保険があり、パンク専用のロードサービスも付帯しているとの事で
「車の事、わからんー」状態な本人へのお守り感覚で付けてもらい、総額28,000円ほど。

正直、本人は違和感無く乗っていたので、まだ溝のあるタイヤをヒビ割れで交換というのは大きなお世話だったかもしれませんが、自分の仕事的にも趣味的にも「イジろうが何しようが、地面に接地してるのはタイヤだけなんやから、そこに不安要素あるなら乗らない」と思っています。
不安要素を知りながら、本人お金ケチって交換せずに、バーストからの横転とか目も当てられないので「俺が出すんやから文句無いやろ?」で、こちらが支払って完了。

後日「タイヤ換えたら全然違う!運転しててわかる!」と喜んでいたので、交換しといて良かったと。

その日は叔父が15:00から庭で焼肉すると言っていたので、少し時間は中途半端ながら、また「どこ行きたい?」
結局、前日と同じホテルへ..................

そして叔母宅へ戻ると、叔父叔母で準備の真っ最中。
叔父76歳、叔母78歳、2人とも高齢な上に叔父は去年、生還したのが奇跡のような大病を患って..................
それでも甥っ子である自分に美味しいものを食べさせようと、杖をつきながらあれこれと..................

親父が入院中、モルヒネ打つまでの意識もハッキリしていた頃
「宮崎のおばちゃんらに連絡しとこうか?」と訊きましたが
「こんな情けない姿を姉さんらに見られたくない」との返事で連絡はせず。
早い段階でオカンと自分は、延命措置はどうするか?気管挿管はするのか?という選択を医者から求められていたので、長くはないと覚悟していましたが、親父自身は「歩けるようになって家に帰る」と毎日言ってたのもあって...................
が、暫く経って医者から「面会の時間も人数も制限は無くします」と言われ、その意味は察したので、オカンに「どうする?」と訊くと「アンタに任せる」

正直、迷いました。
後から「何で連絡くれなかったん!」と叩かれても親父の考えを優先すべきか、来るかどうかは別にして、とにかく知らせておくべきか..................

................やっぱり姉弟には知らせておくべきだと。

危篤だと連絡した時、自分ですらここまでの間、あまりに突然すぎて病気というより事故にでも遭ったかのような感覚。
日に日に衰弱していく姿に頭がついてこず、ただ呆然としていまうような......................
突然聞かされた叔父や叔母は、殊更状況は把握できなかったと思います。
叔母に至っては、まさか弟がと頭が真っ白になって倒れたと。
それでもすぐに車で大阪まで来てくれて、親父の意識があった最後の日に間に合い。
親父も会いたかった姉に会えて、心残り無く終わりを迎えられたと思っています。
今まであまり意識した事がありませんでしたが、その時に初めて、親戚関係は大切にしようと感じたのを思い出し
「おっちゃん、おばちゃんには感謝しかないな」と、手伝いながら涙が出そうになりました。

この日も、ゆうこ弟と子供らが来てくれて、お腹いっぱい楽しい時間を。
IMG_6810.jpg

夕食もお開きとなり、ゆうこが風呂に入ってる間、叔母と叔父と歓談。
昔話から疎遠になってた約30年の間の話、またその原因やら..................
話してるうちに「こう君はホントにお父さんソックリじゃね」と叔母が泣き出したり。
まぁ、親父のこれまでとその姉の話を聞いて一つわかった事は「酒乱」は血筋だと..................
そんな話をしていると、ゆうこがバスタオル1枚巻いてウロウロ..................
小学生の従兄妹同士やないんやから、屈んだら具が剥き出しになるような格好でウロつくなよと。

さて、翌朝は出発の日。
「こう君、朝早いんやから、はよ寝ぇよ」と叔母に言われ、前日から居間に敷かれたマットレスに。
「一緒に寝る」と布団に潜り込んでくるのはいいんですが、シングルサイズで狭ぇ..................
更に、おまえ声デカいわで口塞いであれこれと。
ひとしきり満足したのか、女にされて一番嫌な「腕に頭を直置き」状態でさっさと寝てしまうという..................
まぁ、寝るのはいいとして、せめてヒザまで下がったパンツぐらい履き直してから寝ろよと..................

そして、起こさないようにトイレ行こうと静かに居間から出ると、隣の叔父叔母の寝室のドア開いてたという..................

居間は仏間も兼ねているので、遺影が天井近くに並べられていて、何か妙に悪い事してる気分になりますが
「死ぬまで面倒みるんでお許しを」といったところです。

05:00起床。
頭乗せられた左腕は痛いわ、右手は指先まで筋肉痛だわで、これから300km以上走るにはなかなかのコンディション..................
「2日とも同じメニューでごめんね」と朝食を用意してくれましたが、結構な量でこんな食われへんがなと。

叔父叔母、ゆうこに見送られながら出発。

..................何ていうか.........もういいオッサンなのに子供の頃と接し方は同じで「お腹いっぱいになった?」「布団、それで寒くないか?」
ちょっと気恥しさと懐かしさが混じったような感覚ながら、空白になっていた30年近い時間が埋められていくような。

「また遊びに来るんで、おっちゃんもおばちゃんも元気でいて下さいね」

春頃にでも、また遊びに行けたらなと思います。



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