自宅は暗黒

このところ、家に帰るのが億劫です。
嫁と娘の引越し日も決まり、離婚届の提出日も決まり、話し合いの重苦しい期間は過ぎましたが、日に日に荷物詰めた段ボールがリビングにまで侵食してきて、物理的に重苦しいというのか..................

まぁそれはいいとして、さぁどうしたものかと。
ネコ1人オッサン1人の独身貴族生活がスタートし、この世の春を謳歌する確変モード突入。
SNSに「車あります、部屋3部屋空いてます」で、まずはロシア人、アメリカ人、ベトナム人留学生(♀限定)を招き入れ、労災認定レベルの下半身労働基準法違反でワールドワイドなハーレム生活だ!

..................なんて夢見た事もありました。

けれど現実は「やめときな47歳、落ち込む結果にしかならんが」と、淡い夢から叩き起されながら軽く流されます。

という事で少し真面目に。
今回離婚に踏み切った理由は..................
元々30歳ぐらいからセックスレスというか「触らんといて、そういうのは外でやってきて」で、同じベッドで寝る事もなく、普段はほぼ自室に籠り、メシの時だけキッチンのIHコンロをテーブルにして一人黙々と食べるといった家庭内別居状態。
言われたように外で女作ってはいましたが、結局皆
「やっぱり奥さんのいる家に帰るんだ」
「紙切れ1枚の違いでも奥さんには勝てない」
「早く奥さんと別れてよ」

割り切った付き合いなつもりでも、いつしか「情」というものが生まれるのか、こじれる事の繰り返し。
「アンタの為に離婚した」と妙なプレッシャーを掛けてくる人もいましたが、付き合うのはよくても、生活を共にしたいとはそうそう思うものではありません。

1対1で出掛けて日常会話するぐらいなら不満はありませんでしたが、お互いの家というよりうちに対して嫁は嫌悪感を隠す事もない状態に、言葉を選んで話す事にウンザリしていたり。

それでも「娘を育てる」という1点で何とかやってきましたが、親父が入院した時の
「お義父さんもアンタも私は介護とか絶対無理」から始まり、死んだ後の葬式にも義母は来ない、同じ場所は嫌だから墓は別の場所探さなあかんの発言から、いざという時のホンネが見えて、もう婚姻の意味無いなと。
娘も1人立ちする歳になって、お互いに対して責任無い形に戻った方が気楽だと思っていました。
そして自分の病気がわかった時の「私は別に食事制限とかないから、自分で何とかして」で、それまで通りの晩メシに菓子パン4つみたいなところで「もうダメだわ」と踏み切った感じです。

普段はどうでもいいです。
仲良くしようが喧嘩しようが、それは自分にとってどうでもいいものです。
相手が「もうどうしたらいいんや.........」と落ち込んだり困った時に、支えになれる関係が自分にとっては一番大切で、そうやってきたつもりでした。
それがいざ自分の身に降り掛かった時、見放されるというのか追い討ちというのか..................
思えば結婚して23年、正確にはわかりませんが家庭内別居約17年を経て、感じたものといえば「こんなもんか」と、ただただ残念で寂しいような虚しいような。

心境的には、残る余生を楽しく嫁と過ごしていく未来が見えず「何もいらないし払うもん払うから、もう解放してくれ」というのが最後に残った気持ちです。
夫婦というのは、外から見る姿がどうであれ、当人同士にしかわからないものがあって、自分が辿り着いた答えは「嫁なんて所詮他人」といったものです。

これまでこのブログを読まれている方やリアルに知る方は既におわかりかと思いますが、異性関係はあまり褒められたものではありません。
「おまえは今まで食ったパンの枚数を覚えているのか?」ぐらい華やかな人生だったと言いたいところですが、残念ながら微々たるものです。
が、その中でも「新しい女ができたから離婚したい」と思った事は無く、というかそこまで思うほどのめり込む事もありませんでしたが、何と言うのかDVに嫌悪感を感じるのと同じように「男としてそれは情けない」みたいな感じで、婚姻というのは軽いものではないと思っています。

「10年20年、兄ちゃんが死別するまで待つつもりやけど、いい加減我慢できんくなったら、嫁に兄ちゃんを譲って下さいって言う」
等と言っていましたが、それはゆうこに対しても同じ。
「ゆうこの存在があるから離婚になるわけではない」とハッキリ言っていましたが、返ってきた返事は
「私、寝起きにLINE見て、一瞬で目が覚めて正座して読み返したからね、本気で10年20年待つつもりやったけど、私がそこまで生きてるかあやしいからどうしようかと思ってたところにチャンスが巡ってきた」
...........................

年齢1桁の頃から仲良く、自分が18歳の時、盛大に事故って全身大ケガ状態にも関わらず、ばあちゃんの葬式で宮崎へ連行され、控え室で身動き取れず寝てる際に「ケガ、痛い?」と、心配しつつ襲っておきながら、翌朝「エッチ」と、まるで被害者ヅラで言ってきた従兄妹..................
ばあちゃんが死んだ後、親父の姉弟間でお金の問題で揉め、それが波及したのか親父方の従兄弟関係も疎遠になったので、その会話を最後に約30年。

「再会した時、兄ちゃん変わってないしカッコいいし、喋り方は優しいし言葉遣い綺麗やし、もう理想!」
と、頭ダイジョウブ?な発言から始まり、これまでのお互いの人生やら何やらを話すようになり。

最初の結婚で子供ができない事がわかり、旦那が帰ってこなくなり、家庭再建の調停起こしてもダメで25歳で離婚。
それ以来、愛情持った相手を失った時の苦しさが嫌で、20年近く「100%で愛さない、妥協と惰性や」でやってきたと。
長年、子宮内膜症の激痛に悩まされ、最終的には子宮摘出で体調もすぐれず、コロナ後遺症も回復しない中「もう死んだ方がいい」ところまで落ちていたと。

親父が死んだ後、思ってた以上にヘコんでた上に、嫁や嫁側の身内はあんな感じだし、みたいな状況で溜め息ばかりでしたが
「兄ちゃん、泣きたい時は泣いたらいいやん、そんなん全然カッコ悪くないやん」

この一言が全てでした。
本人は体調不良に悩まされながらもこちらを気遣ってくれて、この言葉がスゴく刺さりました。

これまで「男とは」みたいなものが自分の中にあって、悲しんだり寂しがったりを見せるのはダメ、常に鋼の精神で、と、やってきました。
けど、自分はそんな強い人間ではなく、澄ました顔していても内面そうでもないというのを見透かされ..................
守ってあげてるつもりが守られてたような。
助けてるつもりが助けられてたような。
女に対して「心地良さ」という感覚を初めて知った気がします。

「嫁なんて所詮他人」というのが心底感じたものなので、極論として「元々他人じゃない相手がいいんじゃね?」と思いました。
基本的に0か100かみたいな性格です。

そんなところで現状..................
年内は医者から「就業不可」の診断が出ていて、今は傷病休暇中。
元々、介護施設の看護師は退屈と思っていたところもあり、退職を考えてはいたようですが、傷病休暇中に健保から支給される傷病手当で問題が。
自分も会社勤めの頃に傷病手当を支給されていた時期がありましたが、その時の会社の仕組みとしては、会社が健保に請求して、一旦会社が満額受取り、そこから社会保険等の会社立替え分を相殺して、残りを本人に支給という形でした。
それが、ゆうこの勤め先の場合、健保から直接本人に全額支給、復職後に会社立替え分の社会保険料を会社に返済していくと。
今は法律が変わって、どこもこのやり方なのかわかりませんが、これ、税務上どうなん?と思うところも。
6ヵ月分なら額は大きくないと思うので、月給から一括返済もしくは退職金から一括返済で済むはずですが、これから会社と話し合うと。

加えて、自分も宮崎行った時に泊まったゆうこの実家に、とある企業から事業用地にしたいから土地を売ってほしいという話が。
条件的にはかなり良く、前向きに検討といった感じのようですが、両親がその後住む家を戸建てにするのかマンションにするのか、分譲か賃貸か、両親とゆうこ、弟で話し合いに。
家探しや引越しその他で時間は掛かるだろうと。

「何もかも放り出してそっち行きたいわ」と言っていますが、ある程度身辺整理して、それらスムーズにいくよう知恵を貸してるつもりですが

「ぐっだぐだ言わんと婚姻届送ってこいや、書いて送り返すからそっちの役所に出しな、兄ちゃんが独りで寂しいからって女を探しはじめる前に籍入れて自分のもんにする」

何だその色気もクソもない逆プロポーズは..................

初期の頃からの頭イタい子みたいな発言に「おまえ、ナニ言ってんの?」と思う事もありましたが、イタさそのままブレる事なく一貫している様子に「はい、わかりました」

そんな折、オカン姉から電話が。
昔から車だのバイクだの何かとお金借りっ放しだったので、社会人になってからちょいちょい返しているところですが
「振込みありがとうね」の電話。
前にオカンには事情を話し、離婚届の署名欄に記入してもらっていたので
「オカンから何か聞いてる?」と訊くと「いや、何も、何かあったん?」と。

昔からオカンよりオカン姉の方が何でも話しやすいので、事細かに離婚に至った経緯を説明。
「はー、それでアンタ、後はどうすんの?家とか車とか」
..................今言うタイミングじゃないから、まだ誰にも言ってないけど.........と前置きして、今後こうするつもりと説明。
「え?.........あのお葬式の時に来てた人?」と、家族葬と言ってたにも関わらず、強引に葬式に来た太めの従兄姉だと思ったようで「もうちょい選びなよ」みたいな感想が言葉の端々に..................
訂正して説明すると「はー、アンタも色々あるんやね」
暗に「アンタ、婚姻期間と被っとるがな.........」と言われてる感じも..........
けど、オカン姉は「私が世話する」と、未婚の独り身のままじいちゃんばあちゃんの介護をしてきた人ですが、まぁ、若い頃の派手な感じから、それなりに色々あった事でしょう。

さて、ホンネを言ってしまうと、嫁とは全く正反対の女だと思います。
思考より感情、合理的ではなく行き当たりばったりな上に不器用で、基本的に損するタイプ。
ただ「兄ちゃんが大切に思うものも私は同じように大切、もし私と埋め合わせのできない約束をしてて、その時に兄ちゃんの友達や親に何かあった時、私を優先するような男なら幻滅する」と。

これだけでじゅうぶんです。
結局、何かあった時にそっぽ向かれてダメになったので、自分が望んでいたのはそういった時に信頼できる相手でした。
考え方の相違で、これまでも宮崎まで自走で行くハメになるような喧嘩もありましたが、根本的に自分が一番欲しているものを持っている相手なら、足りないものは補えばいいし、知らないものは教えればいいだけで、まぁ似たような価値観であれば何とかなるでしょうと楽観です。

今月中に、両親へ離婚の事後報告をすると同時に、大阪へ行く話もするようですが..................
恐らく「おまえは独り身になって、これからどうするつもりや!」みたいに叔父叔母からしこたま怒られ、そこから「兄ちゃんのとこへ行く」と返したら、2人とも卒倒するんじゃね?と思うところも。

多分、自分に対して、叔父叔母共に悪い印象は持ってないようなので、相手が誰という事でどうこうはないと思いたいところですが、親父の姉である叔母は北郷で生まれて延岡で生活して、他府県に出た事がない人なので「大阪みたいな所でおまえが生活できるわけない」みたいな事を言うか
「私らを置いていくんか」みたいな泣き落としに掛かるかのどちらかかなと思います。

ゆうこ自身は「何をどう言われようが、これが私の最後のワガママですって言って無理矢理にでも大阪へ行く」と言ってはいますが、それは最終手段であって、できる限り納得させる形で調和をとりたいところです。

予想される流れとしては..................
毎度、ホテル行ってた言い訳を両親にする際など「大丈夫や、私に任しときな」と大口叩きながら
「どこ行ってきたん?」と訊かれしどろもどろになり「兄ちゃんから説明して」のパターン..................
恐らくは報告当日に突然電話が掛かってきて「もうラチがあかんから、兄ちゃんから話して」とか、こちらへ放り投げてきそうな気がしますが、そこまで本人が話したなら、叔父叔母には少しだけ説明して「後日、改めてご挨拶に伺います」としておけばいいかなと。

後は「今すぐ来い」と言われて800km以上走らされた上に「うちの敷居を跨ぐ事は許さん」とか言われて、玄関前で正座とかは勘弁してほしいと思う今日この頃です。
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